ハーメルン
王子と姫と白い仔猫
王子と姫と白い仔猫・20

夜、いつものようにユークリネ王宮内に借りている客間の寝室で仔猫と一緒に眠りについたキリトは霧の中にいることを認識した途端、待ちかねたとばかりに歩き出す。
今宵も目の前に現れたアスナは小さくなって泣いていた。
慣れた足取りでゆっくりと近づく。
アスナの隣に片膝を付いて姿勢を低くしてから、もしかして、と少し躊躇うように「アスナ」の三文字を口にした。
自分の耳にさえ届かない声、もちろん彼女に届くはずもない。
小さい頃から重ねてきたあまり多くない逢瀬の日々の中、常に自分に向けて様々な感情を見せてくれた彼女が今はただ、ひとりぼっちで背中を丸めている。
もしかしたら自分が留学していた二年間の間には、こんな光景があったのかもしれない。
いや、それよりもっと前から、自分が傍にいない時にだって王女としての責務を重く感じていた彼女にはあの綺麗なはしばみ色の瞳に涙を貯めるような事があっただろう。
それでも周囲の者達には「平気」だと、「自分は大丈夫」だと言ってきたに違いないのだ。
もう、そんな事はさせたくなくて……いや、そんな時には自分が隣にいたくて彼女を求めたはずなのに……。

(アスナ、なにをそんなに泣いてるんだ……)

自然と伸ばした手はそのまま彼女の小さな頭に届く。
彼女に触れることが出来た驚きや喜びはほんの一瞬で、何の反応も返ってこない事実に思わず表情が歪んだ。
今のアスナはキリトの声も聞こえず、触れられた手を感じることも出来ず、その存在を認めることさえ拒んでいるように思える。
それでも手を引く事や、彼女の傍から離れることはキリトの選択肢にはない。
一体何が彼女をそこまで追い込んでいるのか……。

(そんな時はオレを呼べって約束したのに)

アスナに伝わることはないとわかっていても、キリトはその艶やかな栗色の髪を優しくなで続けた。





いつものように目覚めて自分にくっついて寝ている真っ白い仔猫に「おはよう」と言ってから両手で抱き上げてキスをする……と、そこまでを終えてからキリトはくたり、と力の抜けている仔猫に気づき顔を強張らせる。

「アスナ?」
「みぅ……」

なんとか反応はするものの、声には全く力がなく、顔も上げようとしない。
慌てて顔を覗き込めば、幾分苦しげな表情で瞳を開ける気配は一向になかった。

「どうした?」
「みぃ……」

消え入るような声を絞り出すように落として、仔猫は全く動かなくなる。
急いで侍女を呼んで事情を説明すると、ほどなくしてサタラともう一人、幼さが残る面立ちの侍女がやって来た。

「姫様っ」

キリトの膝の上で丸くなっている仔猫を心配そうに覗きこむサタラの横で、もう一人の侍女が慣れた手つきで仔猫の顔や身体を触り始める。
普段ならばキリト以外の人間の手には警戒する仔猫だったが、その気力もないのか身体のあちらこちらを探ってくる手に構うそぶりすらない。
最後に侍女は「ちょっと舌を見せてくださいね、姫様」と言って両頬をむぎゅっ、と指で挟んで口を開かせる。
ぱくり、と開いた口から中を覗き込んだ侍女はふむ、ふむ、と頷いて仔猫を元に戻した。
その侍女の手つきを見ていたキリトが不思議そうに声をかける。

「随分と手慣れた感じがするけど……」


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