内国安全保障局
ハイドリッヒ・ラングという人間は、万物の創造主が人間が他者に抱く印象というものが、いかに役立たずな代物であることを証明するために創造したのではないのか、と疑いたくなるような様々な要素によって構成されている。とにかく、いろんな点での印象がまったく合致しないのである。
まずは容姿である。まだ三〇代後半という若さなのに、頭髪の八割方が毛根まで死滅し、両耳の附近でわずかな残党が、まだ頭髪が絶滅したのではないとかすかに主張している。瞳は大きくてよく動き、唇は分厚いが口そのものは小さい。背は低いのだが、体は横に大きくてまん丸とした感じである。頭部も丸くて大きいので、どこか雪だるまを連想させる。しかし肌の色は白ではなく光沢豊かなピンクなので、健康的な赤ん坊が、そのままの体格で大きくなったという印象を多くの人間が抱くのである。
しかしその印象は、彼が声を発した瞬間に木っ端微塵に粉砕されるのが常であった。こんな容姿なら、明るいソプラノではないかと想像するのだが、ラングの声音は古代宗教の聖歌隊が代わりに声を出していると言われてもまったく不思議ではないと思えるほどの、荘重を極めたバスなのである。実際、初対面の人間がラングの声を聴いた時、さっき喋ったのはだれだと現実逃避に走った者が少なからずいるほどで、赤ん坊のような容姿からはほとんど連想できないものであった。
ここまで嚙み合わない身体的特徴を兼ね備えた人物が、難関帝立大学法務学部を優秀な成績で卒業し、帝国文官試験に合格して内務省に入省したエリートキャリアの持ち主で、民衆弾圧機関として悪名高い社会秩序維持局に配属されて優秀な能力を発揮して少なからぬ功績をたて、平民階級の出身でありながら三〇代前半の頃には既にその頂点の地位についていたという陰惨だが華々しい経歴を、よほど特異な想像力の持ち主でなければ外見から予想することは不可能であろう。
ラインハルトが全権を握り、秘密警察という存在そのものが改革の精神にそぐわないものであるとされ、社会秩序維持局は廃止され、長官のラングも憲兵によって官舎の一室に軟禁されていた。軟禁中、ラングはラインハルトが全権を握る以前から、彼なりにラインハルトに対しては好意的に接していたつもりだったので、かるい失望を味わっていた。
しかしそれでも自分の能力に自信を持っていたし、国家を運営していく以上、自分のような人材は絶対に必要だとも思っていたので、いつか必ず暗い海の底のような軟禁部屋から解放され、ふたたび秘密警察の指導者――もしかしたら政治的な理由で、幹部か顧問あたりに降格されるかもとは思ったが――として手腕を振るえる日が、またくるのだと確信していたので、いまは忍耐の時であるとおとなしく時期を待つことにしたのである。
そんな彼の忍耐は、彼が想定していたよりはやくに報われた。不機嫌そうな憲兵たちがラングをオーベルシュタイン上級大将のオフィスへと連行したのである。旧貴族領を中心に地域メディアが反ラインハルト的扇動放送をしだしたことになにか謀略めいたものを感じていたオーベルシュタインは秘密警察の再設置を訴えていたのだが、開明派は改革の後退であると反対し、とうのラインハルトは没落貴族や不平貴族の負け惜しみに本気になる必要があるのかと興味がなかった。
しかし銀河帝国正統政府を僭称する門閥貴族残党勢力によって皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世の誘拐されたことによって、このような事態の再発を防ぐには秘密警察が有効的であるというオーベルシュタインの主張に多くの官僚の支持が集まるようになり、皇帝誘拐に激怒した一部の旧貴族領の民衆による暴動が発生してたこともあって、形勢の不利を悟った開明派は社会秩序維持局時代と比べての大幅な権限と規模の縮小を条件に、しぶしぶ秘密警察の復活を認めた。
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