彼と彼女の物語 ――sideセシリア――
だが実際は見掛けだけの何処にでもいるような、わたくしの父のような弱い人。この世の中では極ありふれた人だった。
かと思えば、直前まで侮辱していたわたくしが失言しそうになった際は経験した事もないような殺気と言葉で止めてくれた。
他の候補生との会話では世の中には女尊男卑を嫌って、女性とあらば徹底的に噛み付いてくる狂犬のような人もいるらしい。
わたくしは会った事はないが、他の候補生は何人も見た事があると言っていた。
「でもあの人は違う……」
櫻井春人という男性は違った。聞こえているはずなのに、陰で何を言われようとも噛み付いたりはしない。怒ったりはしない。
初日にわたくしが怒りに身を任せて、大変な事を口にしようとした時のみ、あの人は怒った。
怒った理由もただ場の雰囲気が悪くなるから。ただそれだけ。呆れるほど簡単な理由だった。
「不思議な人……」
何度考えてみても結論はそこに行き当たる。強いようで弱く、弱いようで強い。
いや、織斑先生へあんな態度を取れるのだから間違いなく強いはずなのに強さをひけらかす事がなかった。隠しきれてもないが、あくまで弱く振る舞おうとする。
分からなかった。何故態々そんな事をするのか。その強さで耳障りな悪評なんて幾らでも黙らせる事が出来るのに。
気になって、気になって、気付けばあの人の姿を目で追っている自分がいた。
「櫻井くーん、ちょっと手伝ってー」
「……何だ?」
ある日の休み時間。相川さんが呼び掛ける声からある意味でいつもの光景が始まろうとしていた。
「織斑先生に頼まれてね、職員室にある段ボールを持ってきて欲しいんだけどいい?」
「……構わない」
事情と内容を説明すれば、櫻井さんはそれまで読んでいた教本を閉じて立ち上がった。
それを見た相川さんが微笑む。
「ありがとっ。それじゃ行こっか」
「…………相川も来るのか?」
「えっ、当たり前じゃない。荷物持ちは櫻井くんに任せるけど、扉開けるのは私に任せてよ!」
「……そうか」
以前からそうだったが、どう聞いても雑用の仕事をあの人は毎回二つ返事で応じる。一つの例外を除いて。だがそれでも断るなんて、少なくともこの数日間では見た事がない。
そしてその例外がこれ。
「はるるんおんぶしてー」
「…………一応聞くが何故だ」
「歩くの面倒だよぉ……」
「…………」
次の授業は移動教室。そこまで遠い訳でもないが、布仏さんは心の底から嫌そうな声を出して訴えている。その証拠に櫻井さんの裾を掴んで離そうとしない。
布仏さんが口にした理由に思わず頭を抱える櫻井さんに織斑さんと篠ノ之さんが近付いていく。
「ほら、早く行こうぜ」
「……いや、だが」
「急がないと遅れてしまうぞ」
「……むぅ」
どうやら二人は布仏さんの味方のようで少し意地の悪い笑みを浮かべて櫻井さんを早く早くと急かす。
渋っているが、二人とも櫻井さんがどうするのか分かっているようにも見えた。
「はるるーん……」
そこへダメ押しとばかりに裾を引っ張りながら布仏さんがいつもの明るい声とは違った、若干どんよりとした暗い声で呼び掛ければ。
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