ゆらぎ荘へようこそ
昼休みももうすぐ終わろうという頃になって、三浦博子はようやくトイレから戻ってきた。
「ただいまー」
「おかえりー」
「遅かったな」
芹が粗野な口調で尋ねる。
「さっきそこで久我っちに捕まっちゃってさー。ハイ、これ」
博子は一枚の紙切れを千紗希に渡した。
見れば紙には、簡単な地図が描かれている。その下に、住所と電話番号も書かれていた。
「何これ?」
「この前のこゆずちゃんの新しい下宿先。学校からのルートだって」
「おー、あのチビ狸か。にしても自分で持ってくりゃいいのに」
「アタシもそう言ったんだけどー、『いきなり知らない男がやって来て手紙渡して、変な噂になったら迷惑するだろ、考えろバカ』だってさ」
「いや、『考えろバカ』までは言わなくていいよ……でも意外と気が利くんだな。乱暴者なイメージだったけど」
「てゆーか乱暴者だし?」
博子と芹の会話をよそに、千紗希は紙に描かれた地図をじっと見ていた。
「……?」
そして不意に首を傾げる。
「どした、千紗希」
「下宿先の名前なんだけど……」
芹に訊かれて、千紗希は紙の下の方に書かれた住所の部分を指差した。恐らく下宿先の名前だろう。『ゆらぎ荘』と書かれてある。
「ゆらぎ荘って、とっくの昔につぶれたんじゃなかったっけ……」
「――てゆーか、あそこは温泉旅館じゃん」
「ああ、でもずっと前に下宿に商売変えしたんだよ」
そう答えたのは、男子生徒だった。
長い黒髪を無造作に後ろで束ね、やけにくたびれた制服の袖や裾をまくっている。
首には勾玉の首飾りを下げていた。
彼が話し掛けてきた途端に、女子たちは身構える。
この男子こそは、入学したその日に千紗希のスカートをめくった自称霊能力者『冬空コガラシ』だった。
「お、おい、そんな身構えなくても……」
「うるせぇ、この淫獣! あっち行けバカ!」
「誰もあんたなんかに聞いてないんだから、口出さないでよ!」
友達が被害に遭ったせいか、芹と博子は敵対心を隠そうともしない。
「わ、悪かったよ……俺、そのゆらぎ荘に下宿してるもんだからさ」
「だから聞いてないって言ってるでしょ。シッシッ」
野良犬か何かのように追い払われて、コガラシはすごすごと自分の席に戻る。近くの席の男子たちが気さくに声を掛けて、彼を慰めてやった。
「で、どーするよ千紗希」
「うん、学校が終わったら、ちょっと顔だけでも見に行きたいな……」
「行こう行こう! アタシもあの子の耳とか尻尾とかモフりたいし!」
「でもなぁ……冬空と鉢合わせる可能性も……」
「うっ……」
芹の言葉に、二人は心底嫌そうな顔をした。
が、不意に博子がポンと手を叩く。
「そうだ。久我っち、呼ぼう!」
◆
「断る」
放課後、教室にやって来た博子からの要請を、久我憂助はきっぱりと拒否した。
「地図がわかりにくいっつーならともかく、そげな理由でいちいちついて行く訳ねかろうが」
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