4 罪科、問われず
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末さまでした」
両の手を合わせ、食事とそれを作ってくれた母への感謝を定形で現す。
世界に平和が訪れ無さそうだろうと、一年以内に一夜にして三万人が死ぬ大災害があろうと、来年にはテオス某とかいうンより遥かに危険な糞による蠍座の人間に幻覚を見せて殺すというルールのゲゲルが始まろうと、生きている以上、腹は減るのだ。
緊張のしすぎで味がわからなくなる、なんて話をよく耳にするが、最近はこの世界の脅威を想定して得たストレスで食事が楽しめないなんて事も、ストレスでゲーゲーしてしまう事も無くなった。
人間の顔で死なれると嫌、というのは今でも変わらないが、グロンギの頭を焼いた帰りに、東京と実家の中間地点くらいの都市でちょっとおやつ代わりに焼き肉食べ放題を食べていくのも平気になった。
もしかすれば、これこそ脳に神経を到達させたアマダムの齎す変化という可能性もあるのではないか。
事実がどうあれ良い徴候である。
辛いことも面倒な事も確実に何処かで向き合わなければならない以上、楽しめる場面では楽しんだほうが心の健康によろしい。
食事は心のオアシスだ。
再来年にでもなったら温泉にでも行ってみるのもいいかもしれない。
「……、っ」
無言、というより、体の動きに合わせて出る呼気の音が耳に入り、食後の満腹感に過剰に精神を任せる事で逸していた意識が、隣の席に向いてしまう。
かちゃ、かちゃ、と、慣れない、というよりも、単純に動作が意識に追いつかないのであろう、不器用そうな音が聞こえる。
視線をチラリと向ける。
俺の席の隣、少し前まで来客用にと用意されていた予備の椅子に座って、白い頭と白い顔、意味のない英単語が羅列された黒いパーカーを着た少女が、白い手で拳を握るようにして持ったスプーンで、ハヤシライスを相手に四苦八苦している。
無言で、スプーンが握りしめられた手を取り、指を一本一本ほぐす様に解き、正しいスプーンの握り方に治す。
五指で握ると確かに普通よりも力は入るが、スプーンを持ってご飯を掬うくらいであれば、食べやすい正しい握り方の方が適している。
……分からなかった、というよりは、自分一人ではそこまで複雑な動きができなかったのだろう。
「悪い、気が利かなかった」
「──」
ふるふる、と、少女が小さく首を振った。
ふわりと癖のある髪を揺らめかせながら顔をこっちに向け、口をぱくぱくと動かす。
あ、い、あ、お、う。
ありがとう、だろうか。
「ん、どういたしまして……、ちょっとそのまま」
口の周りがハヤシライスのルーで汚れているので、テーブルの上に置いてあるティッシュで拭いてやる。
「これでよし」
「────!」
に、と、歯をむき出しにした、快活そうな笑みを向けてくる。
無邪気な笑みだ。
たぶん、邪気は無いのだろう。
邪気がない、というのは、敵意がないのとも、害意がないのとも、殺意がないのとも違うのだが。
「あら、あら、本当に懐かれてるわね」
「母さん、犬猫じゃないんだから……」
少なくとも、現時点で彼女の知識量と知性は犬猫よりはましな筈だ。
或いは、俺のそれを遥かに上回っている可能性だってある。
少なくとも、医師の診断を誤魔化す手段は幾つか思い当たる節がある。
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