12話 憧憬の萌芽
岸壁街の入り組んだ道と隙間を潜ること暫し。
この塒に帰ることも、随分と少なくなった。
静けさと物取りに狙われ難い立地を当て込んだ住処だ。ウィロー亡き今、己にとって使い勝手がよいとも言えず。
数えるほどだった家具を売れるものは売り値付けも出来ないものは始末した。するとどうだ。人気の根こそぎ失せた空間のこのうら寂しさ。
そこはもう部屋ではなく、ただの空洞だった。
「……さて」
残りの荷物を背嚢に詰め込み、担ぐ。
残す言葉とてもはや無し。
ここは紛れもない、ただ一つの場所。我が故郷。
生家を後にした。
ウィローの遺した探窟道具一式は、実のところ己には使い道がない。
長く保管され続けた各種装備、無論のこと相応の経年劣化は見られたがしかし、状態は悪くない。どころかナイフの一本に至るまで十分に実用に堪えるだろう。十年もの間使われることなどなかった筈の品々が何故。
理由は一つだ。あの老爺が、日毎一日とて欠かすことなく手入れをし、繕い続けたからに相違ない。
新品同様とは言わぬまでも、それら全ては間違いなく黒笛探窟家愛用の、歴戦の一品だった。
さりとて、探窟家ならぬこの身には無用の長物。もとい過ぎた業物だ。
なれば使うべき者が使うのが筋であろう。
「……いいの?」
オース西区、孤児院から程近い坂道の途上。大穴の暗い真円を望む物見台のベンチに並んで腰掛けている。
麗らかな午後の日差しは暖かだ。
陽光に煌めく白銀の髪の下から、少年の遠慮がちな視線が己を見上げた。賢そうな面差しの中、くりくりと宝珠の如く大きな瞳が輝いた。欲しいものを目に前にして、期待と遠慮の狭間で揺れ動く。
今一歩、健気に自制しようと頑張るジルオの様は、面白いやら可愛いやら。
「己が抱えて腐らせるより、お前さんが持っていた方がずっといい。前の持ち主にとってもそれがなにより冥利ってぇやつだ」
「でも……」
「嫌だってんなら無理にとは言わん。なんせ死人のお下がりだしな」
「そんなことない! ただ……これは、そのお爺さんがラーミナの為に遺したものなのに」
「だからこそよ」
あの男の生きた証。憧れ、願い、痛み、幸福と不幸。その集成。
捨てることなどできない。死蔵するくらいなら、使い潰してやりたい。
この豊かな前途をひた歩む少年に託したい。
そう思った。
「弔いと思って、使ってやってくれんか」
「……わかった」
「ありがとうよ、ジルオ」
北区へ足を伸ばせばすぐに商店が所狭しと軒を連ね犇めく回廊通りに出る。岸壁を棚状に均した土地に基礎が築かれ、段々畑のように家々が建ち並ぶ様。
その内の一軒、小造な店の扉を潜った。来客を告げる瀟洒なベルの音色。同時に、室内を満たすその独特の匂いが鼻を擽った。
ジルオに伴われ最初に訪れたのは香辛店であった。カウンターで作業していた女がこちらを見て取り、柔らかに笑む。
「あらジルオ。今日はどうしたの」
「こんにちは、ラフィーさん。その、お……お遣いで」
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