20話 喧しい休息
オーゼン曰く、呪いによる負荷は大穴の中心に寄るほど強く、穴から遠ざかるほどに緩くなる。
奈落の底で身の安全を確保するなら、何を置いてもまず外側を目指せ、と。
その教訓は、理屈はどうあれ腑に落ちる。生命の危機に陥った人間の心情としては、逃避を選択できるに越したことはないのだ。
四層下部、ダイラカズラの群生林を地を這うように進む。今ばかりは虫ケラの如く慎ましやかに。深界の王者、原生のケダモノ共の歯牙を躱し、逃れねばならない。
肩口から荒い息遣いが降ってくる。むしろこの重創にしてよくぞ歩けるものだと、驚嘆を覚えるほどだ。
白笛。
超人の異名は伊達ではない。
だが、如何な常人離れした生命力を以てしても、限界はある。
あとどれほどだ。この者はあと、どれほど歩き続けていられる。
「……上背が」
「?」
「もっと、チビだったろう。お前さん」
やにわに女は不明瞭なことを口にした。
いや、脈絡を追えばなるほど。
「男児三日会わざればなんとやら……とでも言えりゃあ自慢にもなるが。気が付いてみりゃ勝手に伸びておったのよ。雨後の筍みてぇに。奈落を下り始めてからはより顕著だな」
「なんだいそりゃ……」
初めて対面した折は、この女の腰まで届かぬほどだった頭頂が今ではその胸の辺りにまで到達していた。
成長期、の三字で片付けるには少々無理が勝つ。
「薄気味の悪い」
「カッカッ、拾われた爺にも同じことを言われた。己自身にしてから己のことはよくわからん」
手足が伸びたことで殺し間、攻撃における有効射程は格段に広がった。
筋力と骨格の成長に伴い、運剣に乗じる裁断力、斬撃力は飛躍した。
敏捷、瞬発、耐久、持久、肉体面の強化著しく、延いては戦闘能力の上昇を認む。
奈落に踏み入るに当たり、殺し合いが避けられぬことは想定していた。こちらが斬り、あるいは斬られ、打たれ撃たれ、殺されることも考慮の内。
まるでこの状況にあって、その必要に駆られた肉体が所有者の要求に応えたかのような。尋常な生物にはあるまじき即物さでこの肉体は成長────否、変異した。
「爺が見付けた時、俺ぁ三つか四つのガキだったらしい。それが半年足らずでこの通りよ」
「まるで人間じゃあないね」
「おうよ。おそらく地上世界の生まれではあるまい。人の胎から産まれたかも定かではない」
「なら、お前さんを産み落としたのは、さしずめ……この大穴」
悍ましき破滅の混沌と凄まじき生命の秩序に蝕まれ彩られた世界。その落胤。
なるほど、そう考えれば何の不思議も有りはしない。
不意に、引き付けのような暗い笑声が耳朶を打った。オーゼンはニタニタと頬を歪めて己を見下ろす。
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