第十五話
竜王戦が終わり途中福井に帰郷し大阪に戻って来た八一。早速今年中に溜まった用事を済ませんと動き出した。まず天衣と師弟契約を結ぶ為に彼女を連れて会館事務所を訪れる。
棋士の卵達が集い研鑽を重ねる研修会。一昨年東海、今年は九州と新しく研修会が開かれ関東と全国を二分とは言えなくなったがその熱気は今も変わらない。
最も今日は別の意味で騒がしかったが。
「例会は月2回第2、第4日曜日に開かれる。幹事指導者は久留野義経七段、本田修二七段、佐東貴文六段。棋士と奨励会員による指導もある」
「は?今月もう過ぎてるじゃない。大阪まで呼んでおいて馬鹿なの?」
早速噛みついてくる彼女に苦笑して言葉を続ける。初めて会った時と変わらず黒の衣服を纏い良く通る声で話す物だから容姿と相まって周囲からの視線が絶えない。
「今日は稽古のついでに書類を出しに来た」
「郵送しなさいよ。給料減らすわよ」
「残念ながらお前はもう弟子なんでな。その手は効かん」
「っち」
舌打ちして扇子を弄りだした彼女と三階事務所で連盟職員と入会手続きを行う。しかし周囲は相当忙し気だ。聞けば取材要請から入会の電話、果ては迷惑電話まで殺到しているらしい。自分のせいだったこともあり具合が悪い。
「はい、お終い。竜王の推薦を断る訳ないです」
「良かったな」
「ふん」
「こんな時に来なくても試験当日でいいんですよ?」
「すみません。早く済ませたかったんで。あとこれ皆さんでどうぞ」
両手に下げた糸谷堂特製ロールケーキを差し出す。棋士室に詰める棋士会員達にも十分行き渡る量だ。少し財布が軽くなった。
「これは、先生も悪ですなあ」
「よろしくお願いします」
「絶対分かってないわよこいつ。まあ、お願いするわ」
何やら意味あり気な言葉だったが良く分からない。取り敢えず頼んでおけば間違いないだろう。そして左隣が先程から自分に厳しい。
会館の自動ドアを出て右へ。駐車場の白線ぎりぎりで収まる高級車へ向かう。精算機の前で待っていた晶さんは当然の様に後部ドアを開けて天衣を待つ。いつも天衣の側を離れない彼女だが今回はここで待つと聞かなかった。
「それでどこに行くのよ?」
「浪速区恵美須東。ここから車で10分少しの場所だな。晶さんがいて助かります」
「先生も二輪を取ったらどうだ。16だろう?」
「考えたことも無かったです」
「止めておきなさい。多分事故るわ」
「……」
一瞬18で大型を乗り回す自分を想像したのだが天衣の一言で夢と消えた。阪神高速を飛ばす車の後部座席で少しだけ落ち込む。ままならないものだ。
「あ、貴方は将棋指しておけばいいのよ」
先程まで尖っていただけに分かりやすく気を使ってくる弟子の言葉が痛かった。
「何よここ」
車を降り高架を背後にタイルの敷かれた道へ入り左折。更に狭いアーケード街へ入る。焼き肉、串カツ、飲み所、理容店、射的屋まで立ち並ぶ横丁。目的地は姉弟子共々お世話になった道場だ。晶さんに人混みから守られながら横丁に足を踏み入れた天衣は周囲を見渡し顔をしかめる。
「新世界。今日の稽古はここで行う」
「こんなところでか?」
「自分と姉弟子も通った道です」
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