18話 大正時代④:大室財閥(14)
開戦当初、誰が言ったか分からないが、『この戦争はクリスマスまでには終わる。クリスマスには故郷に帰れる』と言われた。しかし、クリスマスを過ぎても戦争は終わらず、年を越えても終わる処か激しさを増していく一方だった。そして、戦争の終わりは見える事は無く、ヨーロッパ全土が戦火によって灰燼に帰すのではとさえ思われた。
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この戦争で、直接戦火に見舞われる事が無かった日本では、ヨーロッパからの膨大な物資の需要に応じる為、国内の生産能力が飛躍的に上昇した。同時に、それらの物資を運ぶ為の海運力も上昇した。
大室財閥もこの例に漏れず、製造部門の堺造船所と海運部門の大室海運、商社部門の大室物産の売り上げは年々更新された。この状況に、財閥の者は笑みがこぼれたが、3兄弟はこの状況を素直に喜べなかった。その理由は、『この戦争はいつ終わるのか』『戦争が終わった場合に備えて、我々がするべき事は何か』の2つだった。
確かに、この戦争で莫大な利益を上げる事が出来た。それが、血に濡れたモノではあっても金は金である事には変わらなかった。
しかし、戦争には何時か終わりが来る。そこには例外は無い。そして、この戦争が終われば、この未曽有の好景気も終わり、その後には大規模な戦後不況が起こると考えられた。日露戦争とその後の状況を見れば誰でも予想出来た筈だが、あまりの好景気に浮かれ過ぎて多くの者が考えていなかったらしい。
尤も、日露戦争後の不景気を全員が経験しているので、兄弟の意見を聞いた後、戦争が終わった後に来るであろう不況を想像出来た事は幸いだった(尤も、兄弟は『自分達が意見を言わなかったらどうなっていたのか』と不安に思った)。その為、財閥では戦後に備えての動きを1916年から始めていた。
その内の1つが、前述した『機械や電機、化学の技術を海外から導入、もしくは模範による国産化』である。つまり、多角化する事で一事業の損失を他の事業で穴埋めする事と、新たな収入源の確保を目的とした。
他にも、「利益の一部を溜め込む」「将来有望な技術の調査や出資」といった手段が採られた。
「利益の一部を溜め込む」は、得られた利益を全て拡大に注ぎ込むのでは無く、凡そ2:3の割合で溜め込む額と増資額に充てるというものである。利益全てを拡大に注ぎ込むと、経営が苦しくなった場合の回転資金が無くなる所か、大量の負債を抱え込む事になる。そうなれば破綻しか無くなる。それを避ける為には、稼げる時に稼ぎ、大量に資金を溜め込む事で、負債が発生してもそこから切り崩す事で、状況が変化するまで耐える事が良いと判断された。
「将来有望な技術の調査や出資」は、現状では使い道が分からない・技術的問題や理解不足などで開発費用が出なかったり、人員不足で開発が滞っているモノを調査し、大室財閥が出資するなり、大室財閥に属する企業の一部署にして開発を促進させるなどする事を指す。ここでの調査・出資対象は、大学で研究されている技術が対象となっている。つまり、現在で言う「産学連携」を行おうとした。
当然、この時は役に立つか分からないモノに出資するのだから、場合によっては金をドブに捨てる行為になる。そう考えると、この行為は「利益の一部を溜め込む」事と相反するのではと考えられた。
しかし、忠彦はこう述べた。
『これらの技術に今出資すれば、将来生産する際に我々に来る。恐らく、ほぼ独占状態だろう。そうなれば、現状の損失などその時に回復出来る。そして、これらを研究しているのは東京帝国大学(現在の東京大学)や京都帝国大学(現在の京都大学)などの各種帝大だ。日本の最高学府であり、世界でも有数の大学と言えるだろう。そこに所属する研究員も優秀であり、そんな優秀な頭脳が考えたモノなのなら、将来の役に立たない訳が無い。』
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