3話 幕末③・明治初頭:大室財閥(3)
戊辰戦争中、彦兵衛はどう動いていたのか。動きと言えば、仕入れ元、特に実家の安否の確認だった。
戊辰戦争の発端となった鳥羽・伏見の戦いは、京の近郊である伏見の街と鳥羽街道沿いで起きた。京の郊外で戦闘になったのなら、京の市街で戦闘が起こらない保障は無かった。また、京に近く経済の中心である大坂への戦闘の波及の可能性もあった。実際、鳥羽・伏見の戦い当時、将軍徳川慶喜は大坂城に居り、戦いに敗れた旧幕府軍の軍勢が大坂に撤退していた。そして、彦兵衛の実家である乙訓郡は西国街道沿いにある。西国街道は、京阪間の街道の1つであり淀川右岸(現在のJR東海道本線が通っている方)を通っている。淀川左岸の京街道と比較すると重要性は低いが、万が一新政府軍が両街道から進軍して、途中で戦闘になったら、実家などが被害に遭う可能性があった。
その為、彦兵衛は実家と他の仕入れ元に安否の確認を取った。当時の連絡手段だと、迅速な連絡は出来なかった為、確認までにひと月以上掛かったが、概ね無事である事が分かった為安堵した。
この戦争中、彦兵衛は新政府・旧幕府両軍に対して、物資や資金面での支援をする事は無かった。その理由は3つあり、1つ目は、彦兵衛商店そのものが食糧や武器弾薬を取り扱っておらず、経営が軌道に乗り始めた頃で資金面で不安定であった事から、支援をする余裕が無かったのであった。
2つ目は、この戦争でどちらが勝利するか分からなかった事だった。新政府軍は錦の御旗を掲げている、つまり帝の軍隊である事を意味しており、これに刃向かうものは朝敵となる事を意味した。帝の権威は大きく、逆らうより従う方が多いだろう。
しかし、新政府の中核である薩長が、帝を誑かした君側の奸である可能性もあった。また、旧幕府側はまだ充分な兵力を残していると考えると、旧幕府側が勝利する可能性も少ないながらもあった。その為、どちらか一方に肩入れして敗北した場合、没落するのは目に見えていた。
3つ目は、戦争の展開が早く、動こうと思う間に戦争が終わった事だった。鳥羽・伏見の戦いの戦いから江戸城開城まで約2か月であり、戦争そのものも約1年半で終結した。動いて結果が出る前に大勢が決してしまったのである。この後に出来る事と言えば、新政府軍の支援をするぐらいだが、それをすれば勝ち馬に乗じた連中と同一視されかねず、彦兵衛はそれを嫌い、戦争中殆ど支援をする事は無かった。
これにより、旧幕府軍を支援しなかった事で没落する事は無かったが、同時に新政府軍を支援しなかった事で政商路線に乗れなくなった事も意味した。
政商路線に乗れなかった彦兵衛は、別の形で事業拡大をする事を考えた。それは、倒産寸前の他の業者を買収して拡大するという、現在で言うM&Aだった。この頃、幕府と密接な関係にあった商人が、幕府の崩壊によって没落した。また、急激な変化に追いつけていない商人もいる事から、それらを取り込んで拡大する事は容易であった。
特に彦兵衛が望んでいたのは、同業の商店と廻船問屋の2つであった。前者は、より多くの物品を取り扱う事で更なる増収とリスク分散を目的とした。後者は、自前の流通網を保有していなかった事で、仕入れ元から納品されるまでの時間が掛かっていた事からの反省であった。
彦兵衛商店がM&Aによる拡大をしていた頃、巷で大ニュースが飛び込んだ。『都が、京から東京に移った』と。
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