ハーメルン
私と先輩が結婚すべき理由
8. 犬好きへの偏見

 設楽が入社して一年ほど経過した、ある日のことだった。この頃になると設楽はすでに俺の元を離れ、数人の部下を任されるまでに出世。もはや指導社員だった俺よりも立場上、上になった。つまり俺は、設楽から見て格下になるわけだ。

 おかげで設楽も、最近はスーツ姿が増えてきた。キリッとした猫顔の美人がスーツでパリッと決めている……まさにキャリアウーマンという様相だ。キリッとした設楽には、タイトなパンツスーツがよく似合う。

 今日も設楽は、黒のスーツでパリッと決めていた。こんな美人が上司なら、そらぁたしかに部下のやつらもやる気がでるだろうなぁ。こいつ、黙ってればホントに美人だからさ。

「……先輩」
「おう設楽」
「そろそろお昼ごはん食べませんか」
「……お、そうだな」

 だが、立場上俺よりも出世した今でも、相変わらず設楽は俺に話しかけてくる。昼飯だって、時々自分の部下と一緒に外食することはあるが、基本的には、こうしてわざわざ俺の席までやってきて、俺と一緒に昼飯を食べるわけだ。

「しかし設楽よ」
「はい」
「お前、もう俺と席離れたし、無理して俺と一緒に昼飯食わなくていいんだぞ」
「なぜ」
「なぜってお前……」

 自作の弁当の包みを開く俺を、相も変わらない仏頂面で見つめる設楽が手に持っているのは、ピロシキと焼きそばパン。そして何の飲み物が入ってるのか分からないタンブラーが一つ……。

「だってお前、もう部下もいるだろ?」
「おかげさまで」
「だったら俺と食べる必要ないだろう。部下と一緒に親睦を深めるとか、外で顧客と飯を食べるとか、色々あるだろう?」
「いや特には。その手のことはすべて勤務時間内に済ませてますので」
「そ、そうか……」

 焼きそばパンの包装を開きながら、俺の心遣いを見事に拒否する設楽は、やっぱりいつもの仏頂面だ。

 俺の今日の弁当はというと……なぜか突然食べたくなった、白身魚のフライとブロッコリー。そして……。

「よしっ」
「? どうした設楽?」
「今日も卵焼きは入ってますね」
「当たり前だ」
「……では、今日も私は、先輩の卵焼きにありつけるということですね」
「……」

 大好物の卵焼き。今日の味付けは出汁で、万能ねぎをいれて作ってみた。

 そうだ。こいつは俺の弁当の卵焼きを失敬して以来、卵焼きを必ず強奪するようになっていた。本人曰く……

『私に“食べて下さい”と言ってくる卵焼きの方が重罪です』
『私は卵焼きを食べているのではありません。卵焼きの毒牙にかかり、食べざるを得ない状況に陥っているのです。いわば私は被害者です』

 と、仏頂面でよく分からない弁明をしていた。

 以前は問答無用で俺の卵焼きを拝借していく設楽に腹も立ったが、今ではその分も見越して卵焼きを焼くようになった。おかげで卵の消費スピードが早い早い……以前までは卵一日一個だったのが、今では一日二個だからな。以前の倍だ。

 今日も今日とて、設楽は焼きそばパンを口いっぱいに頬張りながら、俺の卵焼きをジッと見つめ、強奪のタイミングを計っているようだ。猫顔なだけに、その様はネコ科の猛獣を思わせる。猛獣が目を光らせて狙っているのが卵焼き……一体何の冗談だ。

「……先輩」

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