ハーメルン
奴隷蛮行――そのメイド、特殊につき。
奴隷蛮行【3-4】

 事件の要旨説明を果たし、監視担当が冷えたコーヒーを啜る。己の事前演習なしの仕事振りに満足しており、バグウェル「くそ」巡査部長の如何なる問いにも応じる態勢が整っていた。バグウェルは毛の寂しい肌寒いこめかみを掻き、カフェインで一服する部下を見下ろした。
「……それで、そこまで把握しながら、どうして機動部隊を突入させない?」
 素っ頓狂な物言いに、監視官はむせ返った。悶える同僚をひとりが介抱に駆け寄り、残るひとりは信じられない低脳を目の前に意識が飛んで、警察無線の処理どころではなくなった。手前(てめえ)で説明を求めておきながら、巡査部長殿は話半分も理解してなかったのである。
 監視官は想定外のパンチから持ち直すと、鼻血が混じるコーヒーを袖で拭い、床に落とした眼鏡を掛け直した。
「いいですか? たった今申し上げたように、人質は高級奴隷です。ここまではお分かりですね?」
「当然だろう。さっさと突入させたまえ」
 監視官は大きく仰け反り、その目を覆った。その心中は、事件を解決するより先に、目の前の無能を介護施設に叩き込む欲求に駆られていた。
 実のところ、バグウェルは本件の責任者などではない。本来の担当者は別におり、バグウェルよりずっと上級の刑事が現場を統括する手筈だった。この人事に、天災とそこに付随する人災は考慮されていなかった。暴風雨と交通事故で幹線道路に動脈瘤が生じ、当初の担当者は渋滞に囚われて身動きが取れなくなっていた。当局は代理の刑事を求めたが、護送車から逃亡した凶悪犯の対処もあり、手近な刑事資格者は出払っていた。人質事件に割ける人手は、現場近くの駐在警官に頼るしかなく、当局は刑事が到着するまでの繋ぎにバグウェルを割り当てざるを得なかったのである。
「こちらをご覧下さい」
 監視官は佇まいを正すと、一枚のディスプレイをペンで指し示した。液晶画面に、四つの似通った動画が同時再生されている。それはサヴェジ日用品店内の防犯カメラのリアルタイム映像で、それぞれ別の区画を写していた。くすんだレンズの向こうで武装犯が往き来し、床に座る人質の集団に警戒を向けている。色あせて不鮮明ではあったが、店内の切迫感を伝えるには十分だった。
「ご覧の通り、容疑者は正面出入口と会計後ろの裏口に、什器を使ってバリケードを築いています。この質量の障害を取り除くのは時間が掛かります
 建物正面は一面ガラス張りですが、鋼鉄製のグリルシャッター(目の粗い格子状の防犯シャッター)が隙間なく下りています。シャッターを構成するパイプは工業用バーナーで焼き切れる太さですが、飛び散る火花は目立ちますし、正面からの接近はそれこそ現実的ではありません。
 手段がどうであれ、容疑者から気付かれずに作業を終えるのは困難です。突入の意図を悟られれば、人質に危害が及びます」
「だったら、その前に済ませばいい。何の為に爆弾があると思っているんだ」
 監視官の頭蓋の底に、ふつふつとあぶくが生じる。
「……巡査部長の仰る通りです。建物の適切な箇所にプラスティック爆薬を仕掛ければ、ガラスは元より、錠の落ちたドアや堅固なシャッターも破断は容易でしょう。ええ、誰しもそう思い至りますとも」
 監視官はペンを持つ指を震わせ、ペン先で防犯映像のあちこちを連打した。
「だからこそ、容疑者はそれを見越して発破が想定される場所……つまり、裏口ドアや窓ガラス、壁の薄い箇所に、人質を分散して配置しているんです。これでは手が出せませんね? 起爆したら、ドアやガラスの破片が人質を襲うんですから」

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