奴隷蛮行【3-5】
バンの荷室を、敵意の籠もる足運びが揺るがした。バグウェルの上半身が大きく左へ傾くや、通信担当に触れていた手が虚空を手繰る。バグウェルは外力に対抗して肥えた自重を支えようとしたものの、配線につまずいてリアゲート脇の内壁に背中を打ち据えられた。制服の胸元を、青筋の浮いた腕が揉みくちゃにしている。無能上司と鼻が触れ合う距離で、監視担当官が激昂に息を荒げていた。
「常識がないのも加減しろくそ野郎! 突入なんかさせられるか!」
激しい揺さぶりにバグウェルのシャツのボタンが弾け、車内を跳弾する。
「……きみ、この手は何だ。こんな真似をして、ただで済むと思っているのか? 今なら情状酌量の余地を与えてやる」
狭まる気道から絞り出した警告など歯牙にも掛けず、監視官の両手は力がこもる一方だった。バグウェルは努めて平静を繕おうとしたが、その瞳は二十あまり年下の男が向ける敵意に畏れをなしていた。情報班のあと二人が慌てて監視官を引き剥がすと、バグウェルは大げさにせき込んでみせた。
「この件は上に報告するからな、覚悟しておけ」
猫背で凄む姿は、尻尾を巻いてずらかる寸前の子犬に似ていた。
バグウェルと監視官が物理的に引き離されると、通信担当が先のクリップボードをバグウェルへ突き出した。同僚が一足先に憤懣をぶちかましたので、彼は牙を剥くタイミングを逸していた。
「必要な情報は、全てここに記されています。どうか確認を願います」
「それならさっき聞いただろう。時間の無駄だ」
荷室の隅にへたり込んで喘鳴を発するバグウェルの頬に、クリップボードの角が突き刺さる。
「口外できないからこそ、文書にしているんです。読んで、それから理解して下さい。どうやら巡査部長殿は、先の説明で言外の意図を察していただけなかったようですので」
バグウェルは通信担当の言葉尻に胆汁がこみ上げたものの、荷室に怒れる獅子を増やすのもぞっとせず、クリップボードの拝見を甘んじて受け入れた。
資料の前半には、先に監視員が説いた事件のあらましに加えて、五人の容疑者の来歴、判明している容疑者の武装状況、囚人護送車に衝突した盗難車の出所が明記されていた。いずれの容疑者も小悪党の域を出ず、犯罪歴は月並みなごろつきと同然であった。こらえ性をその甲斐性くらいしか保てず、バグウェルは資料から首をもたげた。
「これがどうしたって?」
「いいから続けて」
目下からの不当な扱いに、バグウェルの自制のヒューズが焼き切れる。が、通信担当の軽侮の視線を受けるや、すごすごと資料の黙読に戻った。
情報班が重要視する事項が、資料の後半に集約されていた。そこには人質全員の名簿が綴じられており、各々の顔写真や生年月日、健康状況、果てには奴隷となる前後の来歴が具に記されていた。リベラル団体向けのフルコースである。捜査資料を今度こそ読了すると、バグウェルは眼精疲労を演じつつ問い掛けた。
「こんな荒い映像で、どうやって奴隷の身許を特定したんだ?」
監視担当が鼻で笑った。背中を壁に預けて両足を投げ出しており、業務への復帰は絶望的である。諦めの境地に達したため息をつき、通信担当は再び仕事の手を止めた。情報班の苦悩の由縁は、かつてヒトだった少女らへの憐憫ではなかった
「なんにも難しくありません。タグが勝手に教えてくれますから」
現代英国において『タグ』という単語が発せられた時、それはほぼ例外なく『奴隷個体識別および防犯追跡装置』を指す。その名の通り、奴隷の位置情報を四六時中追跡するGPS発信器であり、個体の盗難や脱走時の対処を主眼とした多機能端末である。装置が発する信号は奴隷の所有者のみならず、奴隷に関与する犯罪を抑止する観点から、今日では各法執行機関へも開示されている。あえて言及するまでもなく、法執行機関にはウェストマーシア警察も含まれていた。
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