ハーメルン
ただそれだけの話
ヅラが懐かしむだけの話




 過ぎ去りし日々。戻らぬ一時。全てはもうやり直せない。
 そのくせに、過去はふとした時に現れて心にそっと影を作る。
 切り離すこともできず、また心の底から切り離したいとも思えない。ままならぬ距離で付かず離れずの過去はまさに道に落ちた自身の影と言えよう。
 否が応でも自身の存在を確立させる、自分の影。何をして、何を選び、何を犠牲にして、己を成り立たせてきたのかを唯ありありと示しているだけの存在。
 桂小太郎はまた一歩、前へと進んだ。彼の影は当然、それに付いていくだけである。



 昼間のかぶき町も夜程ではないにせよ賑わっている。
 昼間から酒を浴びる人、殴り合いの喧嘩を始める人、いかがわしい店に誘う人、そんな店に誘われる助平親父。騒々しさの種には事欠かない町である。そんな町だから、というわけでもないが、桂は指名手配犯とは思えない堂々さで賑やかな道を一人歩いていた。
「ヅラ子! 調度良かった。ちょっと手伝ってくれない? アルバイト代はずむわよ!」
 街中で突如そう声をかけられ、桂はすっと顔を青褪めさせた。
 金は何かと入用であるし、今は特に用事があるわけではない。だがしかし、声を掛かけてきた人物のことを考えるとアルバイトのことは後ろ向きに検討したいところだった。
 断ろうと呼び止めた人物に向き直った桂は、そこでやっと店の様子が普段とは違うことに気が付いた。
「そうか……、とうとう潰れたのか」
「んなわけないだろ。殴るぞ」
 拳を握りしめたかまっ娘倶楽部のママである西郷特盛曰く、大掃除兼改装中ということだった。
 戸が外され大きく開いた出入り口から桂が様子を窺うと、確かに中では従業員のオカマ達が忙しなく掃除をしていた。
「お客さんに小火起こされた時はどうしてやろうかと思ったけど、その人が気前も性格も良い人でね。沢山ふんだくれたのよ! だから修繕がてら綺麗にしようと思ってね。ねぇ、ヅラ子もちょっとで良いから手伝って! 今日の夜には間に合わせたいの!」
 どうやら本当に西郷が人手を欲しがっているようだと気付き、桂は少し悩む。
 エリザベスに任せている近々引き払う予定の隠れ家の大掃除の手伝いに、手隙になったため今から行くつもりだったのだ。
 しかし、一時は世話にもなった大先輩の頼みである。エリザベスに必ず行くと約束したわけでもないし……と、言い訳を心中で済ませ、桂は頷いた。
「うむ、女装無しならば手伝わせて頂こう」
「あら、しないの? ヅラ子とっても似合ってるのに。夜も働いていきなさいよ」
 心底残念そうにする西郷に、桂は慌てて首を横にふり力強く遠慮する。
「いやいや、夜には用があるので遠慮させて頂く。大掃除の手伝いだけなら女装は必要ないであろう」
「あら、そうなの。残念ね〜」
 引き下がってくれた西郷に一先ずほっと胸を撫で下ろし、桂は店内へと入った。
 店内では見知った濃い面々がせっせと仕事していて、そして変わらぬ笑顔で桂を迎えてくれた。



 「ほんと久しぶりねぇ、ヅラ子! なんだか私、最近懐かしい人にばかり会うのよね。昔の知り合いとか」
 雑巾を絞りながら一人がそう言うと、まるでそれが合図だったかの様に野太い声でのお喋りが一斉に始まった。
「そういえば私も最近寺子屋が一緒だった子と偶然再会したのよ! もうビックリよ! 昔の思い出に浸っちゃたわ〜」

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