三話 茜色の息吹
「ねーえ、ねーえってば」
間延びした声が聞こえた。けれど、反応する気は起きない。
「――いつまで、そうしてうじうじしてるのさ」
猫が作業中に邪魔をしてくるように、私の瞳を声の主人が覗き込んできた。
「……だって」
猫が毛づくろいをして言い訳を作るように、私は小さく言い訳をはいた。
「職も住処も、お金だって置いてきてたんだ」
「うん」
「私の持ち物はこの衣服だけ、挙句には取りにすら帰れない」
「確かに、違いない」
「――だったら心配なのも仕方がないだろ、お客さんよ」
声に強い感情を示してしまったことを、私は後悔した。
「そんな瞳で見つめられても、物に未練があるとは思えないんだけど」
この言葉によって、私は自分の頬を涙が伝っていた事に気がついた。
拭っても止まらない雫に気を取られているうちに、私は口を開いていた。
「……怖いんだ」
声を出すうち、私の唇は震えを覚えた。
「列車で見たあの光景の一人のように、私はなっていたかもしれない。そう考えただけで、私は――恐ろしい。死の痛みでさえ怖いのに、いつか――」
「いつか?」
旅人に視線を合わせられて、私は口を開いた。
「あの列車の光景に、私の骸が――こうして泣きながら、浮いてしまったなら」
自分の声が掠れて聞こえる。自分でも理由が分からずに混乱を覚えた。
掠れた声がくぐもって響く。旅人が好んで着る茶コートが見えた。
「私はきっと、親の居ない私を生かしてくれたこの世界を、呪ってしまうだろう」
「世界を呪うのは、よくないね」
旅人は言った。
「確かに世界は残酷だ。けれど、美しい面を持つ世界をぜんぶ呪うのは、また違う」
茶色のコートは丈が長く、光沢のない黒革靴が目立つ。
「ローレ、君は私に“正しい”とは何か聞いた。私は私の答えを与えた」
大人びた形だが幼そうに輝く瞳は赤く、目立たぬ鼻は薄橙、小さな口は桃の色。
「忘れてしまった子には、もう一度自己紹介をしてあげよう」
鋭い灰色の髪を撫でて、旅人は相貌に柔らかい笑みを浮かべた。
「私はウェルフ。旅狩人であり、記憶を求める放浪者でもある。そして」
その笑みはまるで、そう、まるで――
「私は――答えを求める者に、答えと休息を与える者」
まるで、何かを悲しむような。
―――
背の方の襟を探り、後ろ髪に手を伸ばす。私の手は一つの髪留めを探り当てた。
烏の羽を象った髪留めに手をかけて、私はそれを一気に引き抜く。
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