ハーメルン
ヒトデナシ
猫の召使い


 一人の老人が手に持った色のついた筆をキャンバスに近づける。同じ方向、同じ動作を繰り返したあと、片手のパレットに乗っている絵具を筆につけて再びキャンバスに描く。絵を描きながら時々こちらを見ている老人――主人を、あたしは向かい合う形で椅子に座って見つめていた。
 壁や床に絵画が置かれている部屋の中で、あたしは今、主人が書く絵のモデルに務めている。
 主人があたしを描くのはこれが初めてじゃない。数ヶ月前にあたしの絵を描き終えたことがある。でも主人は満足せず、次の日にあたしを描き始め、やがて完成した。そしてまた、あたし描き始める。
 この主人は毎日、あたしの絵を次々と描き続けている。
 はっきり言ってモデルのあたしは動いてはいけないが、じっとしているのも疲れる。家事とは違う労働でもある。
 逆に主人は飽きずに描いている。別に画家だから、絵を描くのが好きだからという理由ではない。あたしの他に題材にしたモノもあったが、主人がもっとも長く絵の題材にしていたのがあたしだ。

……あたしが「変化し続けるから」だって

「うむ……ご苦労さん」

 筆を止めた主人の言葉に、あたしは肩の力を抜く。首と肩を回すあたしに主人がキャンバスを向けた。

「どうだ、キャリコ? うまく描けているだろう」

 そう尋ねる主人に、キャンバスに描かれているモノを見ながら頷いた。

「はい。丁寧に描かれています、ご主人様」

 感想を言い、改めて完成したばかりの絵画を見る。
 猫と人をかけ合わせたモノの上半身が描かれている。髪から伸びている三角耳と、ヒゲが生えた丸っこいマズル。細長い瞳孔の目元を境目に上が黒と茶、首元までの下が白の毛が猫だと教える。そして、毛と同じ三色の髪で出来た三編みと、人間と同じ体をしているのが人だと教える。 
 猫を人の形にしたこれが、今のあたしの姿である。

「それはよかった。さて、もう時間だし、夕飯の準備でもしよう。今夜は私が作るよ」
「いいえ。今日もあたしが作ります、ご主人様」

 アトリエから立ち去る主人を追うあたし。ふと、置かれている一つの絵画に描かれている少女と目があった。
 三角耳がない、瞳孔が丸い、毛がない、髪が黒一色、そんな普通の人間の少女……これは初めて主人があたしをモデルにした絵である。
 この子がかつてのあたしだった。

――――

 異臭が漂う中、あたしは薄暗い部屋を見渡す。壁際に何人かの男女がボロボロの服と首輪を身につけられて座らされている。あたしもその一人で、空腹感に立ち上がれそうになかった。
 あたしたちはどういう存在なのかは教えられていた。人よりも劣った存在だと。だから危険な仕事、汚い仕事、キツい仕事をやらされたり、体を何かに使われたり、そうしたことで命を失うのがあたしたちの運命。今はこうしてどんな人に拾われ、どう使われ、どう捨てられていくかを待っているだけ。
 
「おい」

 あたしの前に布で顔を隠した大男がやってきた。どうやら人に拾われるようだ。

「立ち上がれ、ついてきな」

 命令に従うまま、立ち上がって出口に向かう大男についていく。他の者からの哀れ、妬みの視線を感じながら歩く。立ち止まったって、強引に引きつられるだけだ。

「お前は最悪な奴に選ばれたな」


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