転機
夜。
適当な服装で夕飯を終えてから家を出て、屋根を足場に朝武家へ向かう。その屋根の上から茉子と芳乃さんが出たのを確認した後、降りて軒下に座り込む。今日は仕事服ではない。普段通り人も寄り付かないだろうから。
「……月が綺麗だな……」
虚絶を抱えるように、身体に立てかけて片膝を立てて月を見上げる。
「馨、隣失礼するぞ」
「ムラサメ様」
そんな俺の横に、ムラサメ様が現れる。座るわけではないのは、その特異な性質からだろう。
「ご主人に、お主のことを話した」
「ん、予想より早かったな」
「昼間、茉子とお前に会いに行った時にピンと来たらしくてな。安心せい、ご主人にしか話しておらん」
「……そうか」
「ちと耳を傾けてみたが、今は安晴の真意や、そして古き朝武が都より呼び寄せた魔物殺しの一族『伊奈神』についても話していた」
「……」
伊奈神──それが稲上の本来の字。
俺は稲上であって、伊奈神であるなりそこない。
「自罰意識が強すぎるのだお主は。7年前の入水自殺未遂もそうだ……何故そこまで己を生きていてはならぬものと定める? 主は確かに殺す者であり、虚絶と接続してしまった存在。だが誰もが稲上馨に生きてと願い、そう思っている。それを無下にしてまで死に飢える……その心はなんだ?」
ムラサメ様は俺の顔を覗き込みながら、逃げることは許さんとばかりに強い口調で問う。
気が緩んでいたのか、あるいは将臣の登場で役割が無くなるかもと期待していたのか……スラスラと言葉が出てくる。
「……殺せてしまうから。虚絶に使われる端末でしかない俺に、意志は無い」
「……そうか、そこだったのか……」
「虚絶ある限り祟りの可能性は潰えない。俺を触媒に蘇る可能性もある。だから、俺が消えれば、憂いが無くなるかな……って。それに、友達も殺さなくて済む」
「──それで妥協して二十歳までか? 過ぎたら死ぬつもりか?」
「それは……」
そうだった、などと言える筈がない。
ムラサメ様はまるで駄々をこねる子供を宥めるような声で、俺に告げる。
「この世に生まれたことが罪ならば、生きることが背負う罰と言えるだろう。お主はそこまで周りの人間が信用できんか」
「俺は殺す者だから、きっと殺せてしまうから」
「答えになっていない。信用できないかを答えるのだ」
逃げの一手すら封じられた。
──やけっぱちになったのだろうか、口が滑る。
「…………したいさ。でも、したところで虚絶は殺す」
「主の虚絶への信頼は厚いのう……確かに虚絶は殺すことのみに特化した妖刀の中の妖刀だ。だが如何に祟りに等しい憎悪と殺意の魂が中に宿っておろうが、結局は人が作ったものであろうが」
「だからって──!」
「主が魔に近しいのであれば、その感情を糧に捩じ伏せることすらできる筈だ。もっとも、主は己こそが憎いのだろうな……」
……縋るにはあまりにも脆い希望だ。
黙りこくる俺から離れるムラサメ様に顔も向けず、ただ月を見上げる。
「今から吾輩はご主人の覚悟を問うてくる。主はどうする?」
「それだけは、決まっているさ」
しばらくすると、誰かが歩く音が聞こえ──
「馨」
「来たか、将臣」
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