真夏の夜の夢
───夢を見た。
あの日旅立たず、故郷の地で安らかな日々を送っている夢を。
拒絶した友人と和解し、家族とも笑い合って、幼馴染み達に感謝を伝えて……そんな誰もが笑っている優しい夢。
水も蛇口を捻れば出て来て、朝露を舐める必要も無い。食べ物も一声掛け、ただ待っていれば、用意されていて。
言葉も通じて、帰る家がある。
沈む夕陽を眺めながら、郷愁に囚われる事も無い。
学校に行くの、だるいよなぁ。今日の給食、揚げパンだったぞ。おい、何してんだ! 早く行くぞぉ!
そんな益体もない事を、友人と駄弁りながら、何となく将来を考え送る日々。危険なんて欠片もない日々。
幸福で満たされた、ありふれた日常だった。
なんて素晴らしいのだろう。
夢は、祐一の中にあった郷愁を慰めてくれた。
お気に入りの山から見下ろした故郷を、鮮明に映し出し、忘れ掛けていた故郷の風景を、そっと教えてくれる。
慣れ親しんだ、我が家。子供の頃、良く遊んだ神社。裸足で駆けた畦道。びしょ濡れになって笑いあった小川。どこまで登れるか競った大木。学校の通学路にある駄菓子屋。竹林の中に作った秘密基地。
波打ち、光を反照する、小さな湖。
咲き誇り、魅了する、しだれ梅。
なんて美しいのだろう。
祐一は、気付けば、故郷にある家の前に立っていた。
彼が14年間過ごした家。初めは白かった外壁も、二十年近い時の流れによって、灰色にくすんでいて。
窓枠に嵌められた障子は、よく弟と喧嘩するから、新しく張り替えても、一週間と持たなかった。
庭にある排水溝には、チャンバラで使うお気に入りの棒が隠してあり、子供の頃は良くコレを持って、野山を駆けていた。
「祐一! どこに行ってたの! 早く帰って来なさい、今日はアンタの誕生日よ? みんな待ってるんだから! 忘れたの?」
母さんが呼ぶ声が聞こえる。在りし日々の懐かしい声。驚いて、振り向く。
久しぶりに見る母の顔は笑顔で、帰りが遅い自分を、少し怒っている様にも見えた。
白髪混じりの癖っ毛。自分の癖っ毛は母から受け継いだものだったと思い出す。
我が家の紅一点である母の手と肌には、一家をその細腕で支えている事を示すように、皺が目立つ様になっていた。
だが眼つきは鋭く、気の強さを顕著に表していた。
「祐一! アンタは友達を大切にしなさい! アンタは、一人じゃ、すぐ駄目になるんだから! 母さん、心配で夜も眠れないわ!」ふと、そんな言葉を思い出した。
耳に蛸ができるほど聞いた、祐一の一番の指針にもなっている言葉だ。
口うるさいけど、誰よりも家族を愛していた人だった。
───行かなくちゃ。
母の隣には、父さんが立っていた。
言葉は無く、静かに佇んで、祐一を見守っている。
あと数年で齢五十に届く父は、額に深い皺を湛え、口元にはくっきりと、ほうれい線が浮かび上がっている。
祐一が高身長な様に、彼の父もまた背が高かった。
老境に入る年頃だったが、それでもシャンと背筋は伸びていて、高身長な祐一よりも、頭一つ高い。
九州に生まれ九州で育った、生粋の九州男児だが、物腰は柔らかい。
老眼が酷くなり、最近になって掛け始めた眼鏡の奥には、優しげな瞳があった。
父さんもまた、口元を吊り上げ、不器用に笑う。
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