1-2 荒野にて②
生きとし生けるものを喪失した世界。
それは、神になり損ねた男が造り上げた世界。
一つの可能性に過ぎない世界で男は独り、ただその黒き片翼を広げる。
『あんたを尊敬していたのに……憧れていたのに……』
『……――さ、……生まれ、変わったら…、――見つけ、て』
記憶から流れ出るその声は、誰のものであったか。
男の体は、突き立てられた刃の痛みを憶えている。自分の痛みであったから。
男の脳は、そのワンシーンを憶えている。忘れられない名シーンであったから。
だがもう一つは、誰の記憶であっただろう。
ノイズまみれの、その声は子供のものに思えたが。
もしかしたら男の知らない、この体の記憶なのかもしれない。
小さく息を吐いた男は、やけに耳に残るその声を振り払う。
異なる心と体を無理矢理擦り合わせたとしても、所詮は継ぎ接ぎの存在に過ぎない。
ならば、此処に在る男は何を成せば良いのだろう。
孤独の丘に佇み、示された道を見上げる男は一人思案する。
だが、そんな男に背後から忍び寄る影があった。
もぞもぞと体を蠢かせると、影の中から一本の巨大な手が現れる。
闇を煮詰めたような黒いそれは、背中を向ける男にゆっくりと忍び寄ると、その爪を突き立てるように襲い掛かったのだ。
「……」
濃厚な闇の気配に気づいていた男は、ただ振り向き様に愛刀を振り抜く。
その風の如き一の太刀に、あっという間に影は雲散した。
しかし男は、元々手というものが一対のものであることを失念していた。
男の不意を突いて出現したもう片方の手に、咄嗟に刃を突き立てるも、断崖絶壁の淵に立っていた男は、そのままバランスを崩した。これは、油断ではなかった。
人間を神すらも超越する力を秘めた体に、精神が追い付いていなかったのだ。
男はまだ、自分の精神と彼の肉体とのバランスを取ることが出来ていなかった。
灰色の薄汚れた空が、遠退いていく。
―――落ちる、墜ちる、堕ちて いく。
体に宿る魔力を開放すれば、直ぐにでも体勢を立て直し空へと舞い上がることは容易い。
しかし男は、今はこの吐き気がする程の不安定な浮遊感を味わっていたかったのだ。
それに、こんな崖から落ちたところでこの体がダメージを受けるとは思えなかった。
「……なん、だ?」
分厚い雲に覆われた空は、希望すら捨て去ったその世界を映し出しているかのようである。隙間から辛うじて差し込む薄光が、濁った世界を醜く彩っていた。
落下しながらも、男がぼんやりとそれを仰いでいると突如何もない空間に魔法陣が出現した。虹色の光を零すそれは、男の直ぐ下へと現れたのだ。
得体の知れないその魔方陣は、色のない世界で鮮明に輝く。
いくら直下に現れたものであろうとも、回避はそう難しいことではなかった。
だが、不思議と抗う気は起きなかったのだ。
『魔晄炉に落ちた時のよう』に、つぷりとのまれていくその感覚は、案外心地の良いものであった。
ぐらりと視界が揺れて、何かが近づいて来るような感覚に体が勝手に反応した。
軽やかな動きでくるりと身を反した男は、その瞳を開ける。
[9]前話 [1]次 最初 最後 [5]目次 [3]栞
現在:1/7
[6]トップ/[8]マイページ
小説検索/ランキング
利用規約/FAQ/運営情報
取扱説明書/プライバシーポリシー
※下部メニューはPC版へのリンク