王が遠征に旅立ってから、二ヶ月が過ぎた。
ブリテンの民は皆、アーサー王がモードレッドの変装であることを、まだ見抜いてはいない。
長い時期を王として過ごし、モードレッドの所作はいよいよ本物の王と遜色ない程に洗練されつつあった。
時折、緊張のネジが緩んでしまい、本来の調子に声を荒げて怒ってしまう事もあったが……それがむしろ、王が垣間見せた人間味のある部分として見られ、好意的に受け止められさえしている。
民と接する機会も何度もこなした。最早この都に、王の正体を疑う者は誰一人としていないと思えた。モードレッドのすり替わりは、いよいよ盤石なものになろうとしていた。
その一方、当のアーサー王は、まだ戻る兆しを見せていない。
当然ながら、ランスロットの討伐のための遠征に関する情報は、届いていない。
フランスへと逃亡したランスロットとの戦いは、果たしてどれほどの規模へ発展しているのか。
長引いているのに間違いはないだろうが……もう、二ヶ月である。
アーサー王は、明日にでも戻ってくるかもしれない。
その事実が。無慈悲に刻々と過ぎてゆく一日一日が、モードレッドの神経をすり減らしていた。
王の寝室で、モードレッドは今日も外出用の装備を身につけた。ベッドの上で、グネヴィアが心配そうな目を向けている。
「今日も出てくる。留守の内に父上が戻ってきたら、上手い具合に伝えてくれ」
「モーちゃん……今日はお休みしたらどう? 私の力でも、疲れを抜き切れていないわ」
グネヴィアの言うとおり、モードレッドの顔はいよいよやつれ、目の下は掠れて酷い隈を作っていた。血の気の薄くなった肌は、白粉を塗って強引に覆い隠している。
七日連続の、遠出である。目的はブリテン国土のあちこちに赴き、民の声を聞くことだ。命を脅かす驚異はないか、不安はないか……そういう声に耳を傾け、できうる限りの対策を抗す。領土を広げる事に執心していたアーサー王が後手に回していたものを、モードレッドが一身に引き受けている。
「声を聞くのだって、騎士さんを派遣すればいいじゃない。何もモーちゃんが行くことは……」
「馬鹿が。オレが行くことに意味があるんだ。父上に納得させる為にも、良き王だという証拠が要る。テメエ等に手を差し伸べたのは王だと、王が命を救ったんだと、そう思って貰わなきゃいけないんだよ……それに」
そこで言葉を区切り、王は自嘲気味に唇を持ち上げた。我ながら似合わない、そう自覚して作る気恥ずかしげな微笑みだった。
「オレが蒔いた種だ。オレがやると決めた、オレだけの王政だ。せめてそれだけは、最後までやりきりたいんだよ」
「モーちゃん……」
「何、この偽りの王政も、そう長くない。その間に、残したいんだ……何か、一つでもさ」
笑って呟いた。その一言に、グネヴィアは沈黙する。
自嘲気味なそれは、蜂蜜のようにまろやかで淡く、それでいて霞みのように儚く透き通っていて。
そのまま色彩を失い、消えてしまうのでは無いかとすら思えてしまう。
溶けかけの砂糖菓子のような危うい美しさ。グネヴィアがそれに絶句する間に、モードレッドはさっさとマントを纏い、王として寝室を飛び出してしまった。
終わりの時間は、刻々と迫っている。モードレッドの野望はまだ果たされず、失われたアイデンティティは心を渇かし、彼女を苦しめている。
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