第09話 胎動
「ああ、もう最悪だ」
書斎の椅子に崩れ落ちるようにして腰掛けるのは、賈文和の政治的切り札にして協力者・百式。まだ昼前だというのに、尋常ではない疲れっぷりである。
「あんな夢を見るなんてどうかしてる……」
ここのところ悩まされている夢が大きな原因であった。夢といっても先日、西平太守と話したものとは違う。睡眠時に見る幻覚の方である。
(見知った娘にメイド服着させてイチャコラする夢ってのは――)
実にくだらないが、頭を悩ませるには十分だった。
学院の支援者であり、馬術の師でもある同居人は確かに可憐な少女ではある。それに異論を挟むつもりは彼にもない。身分を隠すことによって、董仲穎の魅力はより強調されていると言ってよかった。現に、控えめで献身的に田伯鉄の助手を務めている「太白というらしい美少女」は、すでに学院のアイドル的地位を確立しつつある。
しかし、大和にとって彼女は三国志の英雄であり、身分も(聞いたことはないので詳しくは知らないがおそらく)年齢も違う。妹や彼女の親友同様に「そういう対象」として見たことはないはずだった。それがあの夜以降、親友を伴って頻繁に夢に登場してくる――しかも、それが人に話せるような内容ではないのだからたまらない。
夢の中の彼女らは何故か二人ともメイド服を着ていて、甲斐甲斐しく、また一方は悪態をつきながらも世話を焼いてくれる。しかもあろうことか真名まで許してくれているようで。
「…………」
(欲望全開すぎってもんだろう……)
算術教師は自分に呆れたとばかりに頭を抱えた。
作ってくれたお菓子をみんなで食べる。他愛ない話をして、いちゃつく。
大和にとっては不快な夢でけっしてないが、やはり色々と世話にもなっている二人に申し訳ないという罪悪感の方が大きい。一人とは毎日顔を合わせてもいるのだ。故に自己嫌悪に陥るのである。
それが昨夜はとうとう――。
「ああ、くそっ」
脳裏に浮かんでくるやけに生々しいイメージを追い払うように、頭を掻き毟る。
(いくら女っ気のない生活してたとはいえ、見境なさすぎるだろ……。もっと真剣な悩みがあったはずじゃないのかお前は)
年下すぎる女の子にメイド服。
“そういったご趣味”は自分にはなかったと認識していたが、異世界に来た影響で新たな世界に目覚めたとでもいうのだろうか。
「……顔でも洗ってこよ」
このままでは仕事になるものもならない。と、ピンク色の靄をかき消し立ち上がる。それに答えるように年季の入った椅子がきしっと音を立てた。寒空に冷えた井戸の水でも浴びれば、惚けた頭も少しは働きを取り戻してくれるかもしれない。
庭に出ようと部屋の戸を開けると、
「きゃっ」
声に視線を下せば、突然戸が開かれたのに驚いた様子の女の子。運の悪いことに彼としては今最も会いたくなかった相手だった。
「あ……すみません。驚かせて」
「いいえ。あ、伯鉄さんに――」
『あの……ご主人様』
「うっ」
紅潮した頬に潤んだ瞳。
差し込むような頭痛とともに夢のワンシーンがフラッシュバックし、大和は思わず額を押さえた。
「……伯鉄さん? 頭が痛むんですか?」
「いや、なんでもありません」
まるっきりの嘘というわけでもない。痛みは一瞬。
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