第01話 小さな一歩と大きな一歩
後漢王朝の都洛陽。
北に黄河を、南に洛河をひかえた交通要衝の地で、前漢の都長安と並んで都城が古くからひらかれた場所である。
光武帝が“力強い女性達”に支えられて新を滅ぼした後、西周時代の成周城、東周王城、前漢時代の洛陽城のあったこの地に新都を建設して百五十年以上が、諸侯会議が招集されなくなり、中央が孤立し始めてからすでに五十年が経過しようとしていた。
度重なる局地的な天災に、頻発する地方の自分勝手な勢力争い。まさに終末の退廃的な匂いが漂う中、王朝はぎりぎりの所で権威を保っている。とは言え、もちろんそれも利用されるための道具でしかなく、それさえ長くは続かないだろう。それが大方の見方だった。
王朝の権威――大義名分が必要とされているのは、未だ国に匹敵する勢力が存在しないからであって、決してその求心力からではない。打倒漢朝を掲げて周辺勢力に袋叩きにされるよりも、敵の粗を探して国に賄賂を渡し、あるいは近隣の勢力と謀って「漢朝のために!」と叫んだほうが賢明であるというだけのことである。
そうやって地方勢力の統合が進めば何が待っているかといえば、独立離反に内乱。少なくとも王朝側にとっては明るい未来が待っているとは言い難い。
すでにその萌芽も見え始めていた。例えば名職とは別に実職として渤海太守兼都尉に就いている袁紹は、周辺に影響力を強めて実質的に冀州を取りまとめつつあるし、その妹である袁術も本来の領地に加え、孫家を保護、支援するという名目で江東を手に入れている。その孫家の没落の要因となった劉表と彼女らの戦も、互いに大義を掲げての私戦という有様であった。そうした動きの中で最たるものが、陽城侯劉焉である。
彼が国に認めさせた州牧の制度は、簡単に言うなら州を統括する長官を置くというものだった。これは結果的に勢力の統合、大規模化を進めるものであり、現に彼自身、益州牧となって一帯を支配。独立のために力を蓄えている。
地方勢力がじわじわとその版図を拡大させていく様は、野に放たれた炎の如く。風でも吹こうものなら、一息に中原を飲み込んでしまうに違いない。
およそ歴史には転換点というべきものが無数に存在し、後漢においては今がまさにそうした一つ。それも最後の一つであった。ゆっくりと、しかし確実に腐り落ちてきている大木。口さがない人々がそう評した政治の膠着状態は、冬の底冷えの中、来るべき春を待ち望んでいるかのように見える。
大きな変化を起こすのに、なにも大人物である必要はない。例えるなら、弩に張られた矢が指先の動き一つで放たれるのと同じで、時と人、それに天運が加われば、たとえ凡人であろうとその役目は十分に果たせるのだといえる。彗星の如く登場した一人の男の存在は、たしかに洛陽を混乱させていた。
この混乱がもたらすものが善いものとなるのか。それとも死に体の王朝にトドメを刺すものとなるのか。
こればかりは蓋を開けてみないことにはわからない。ただ、何もしなければ“弩”が自壊してしまうだろうことは明らかだった。既に弦は限界まで引き絞られている。
「そうだ。変化は必要なのだ」
誰に言い聞かせるでもなく男は言う。
街のどこか慌ただしい雰囲気は、単に春節の準備をしているからというわけではないだろう。車窓からそうした都の町並みを眺めながら、混乱の中心にいる一人、中常侍・宋典は朝食代わりの餅を喰らっていた。
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