瞬く間に、川崎沙希は距離を縮める 1
朝起きてから、しばらくベッドの上でぼーっとしていた。昨日の残り香が身体のあちこちに沁みついていて、のぼせているような気分だった。
スマホを見ると、時刻はまだ七時半に差し掛かったところだ。本格的に起きるにはまだ早い時間。
ふと、スマホが震えた。由比ヶ浜からのメールだった。中身を見ると、「いま電話していい?」という絵文字もない端的な内容だった。
了解と返信してしばらく待つと、由比ヶ浜から電話の着信が来る。
「よう、おはようさん」
「おはようヒッキー。まさかヒッキーがこんな朝早くに起きてるなんて思わなかったよ」
「早起きは三文の徳というだろ? 働かないで得られるお金っていいよな。早起きは専業主夫の副業になるかもしれん」
「ヒッキー、三文っていくらなの?」
「百円くらいだな」
「……働こうよ」
すごい憐みの籠った声で言われてしまった。
んっんー、と咳払いをして話題を逸らす。
「昨日はありがとな。伝言、ちゃんと伝わった」
「うん。ゆきのんから訊いたよ。遅くなっちゃってごめんね。そうそう訊いてよヒッキー。昨日あのあとゆきのんと会ったんだけど、全然うわの空でさー。話を振っても、「あらそう、そうなの、ええ分かるわ」しか言ってくれなかったんだよ? 絶対ヒッキーの相談について悩んでたよね!」
昨日の雪ノ下を語る由比ヶ浜は楽しそうだ。時折思い出し笑いをしながら続ける。
「あたしもさー、背景とか分かんないから、どんな感じがいいんだろーって考えだしたら、ふたりして無言になっちゃってね。十分くらいそうしてたら、なんだかおかしくなっちゃって。とりあえずヒッキーが悪いってことにして笑っちゃったの!」
「おい、待て。とりあえず俺が悪いとかやめろ。とりあえずが付くのはビールだけでいいんだよ」
「あはは、ごめんごめん。でもね、そのあとカフェに入ってふたりして案をあげてったんだけど、やっぱりしっくりこなくて。適当な答えだけは絶対に出したくなかったから、いっぱいいっぱい考えて、あんな結論になったんだ」
ちゃんと伝わったかなあ、と由比ヶ浜が細い声を出す。
「まあ、ちょっと分からんかったけど、なんとなくはな」
「ニュアンスってやつ?」
「由比ヶ浜にしては難しい言葉を知ってるな。そう、ニュアンスは伝わったわ」
「あたしこれでも受験生だからね⁉ ちゃんと勉強してるよ! ゆきのんスパルタ過ぎて勉強やだよー!」
「雪ノ下に教えてもらえれば留年は回避できるだろ。良かったな」
「あたしは進学したいよ⁉」
「ならがんばれ」
「ヒッキーがしんれつ? だー!」
「辛辣な。ちょっと留年も不安になってきたわ」
「辛辣だー!」
由比ヶ浜が笑う。俺も声には出さずとも表情を緩める。
誰かとこんな風な関係になれるとは、昔は思いもしなかった。由比ヶ浜も、雪ノ下も、俺のために時間をかけ思考を巡らせてくれた。それが、堪らなく嬉しかった。また目の奥が熱くなった。
「ヒッキー。昨日、楽しかったんだよね?」
「ああ、そうだな」
「うん、良かった。なんか色々変なこととか考えちゃったけど、それでも、ヒッキーが楽しいって思えてやっぱり嬉しいや」
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