第九話
熱田へ進軍中であった今川本隊であったが、突如降り始めた豪雨によって足止めされ、桶狭間にて陣を張り過ぎ去るのを待っていた。
「寄親・寄子の制、未だ盤石!下々まで気の緩みございませぬ!」
「よろしい。引き続き陣の構築を急がせい」
義元がいる天幕前にて、馬廻筆頭の岡部守信が配下に指示を飛ばす。
義元が導入した制度によって高められた団結力は、突然の事態にも乱れを生じさせず、規律を維持していた。
主君の手腕に感嘆の念を抱きながら、守正は天幕へと戻っていく。
「義元様、隊の統制に支障はございません。安心してお寛ぎを」
「そう、ご苦労様爺」
跪く守正の前には、十二単を着た、黒髪を腰まで伸ばした信奈と同年代の女性――今川家当主である今川義元が腰かけに腰を落ち着けていた。
彼女が用いている腰かけ始め、天幕内にある物はどれも銭にものをいわせた高級品ばかりであり。名門今川家の名に恥じない豪華さを感じさせた。
「それにしても、この雨はいつまで続くのかしら。妾ジメジメしたのは嫌なんだけど」
「それ程長くないかと。ですが、晴れた後は周囲の安全が確認できるまでは、暫しこの地に留まります」
「そこまで神経質になることもないじゃない。織田信奈の弟がこちらに寝返るそうだし、織田程度このまま押しつぶしてしまえば良いのに」
「織田を――いえ、織田信奈を侮ることなかれ。亡き友の言葉をお忘れで?」
師である大原雪斎の言葉を思い出したのか、むぅ、と押し黙る義元。軍師として彼女を支えた彼は、守信と共に教育係として義元に仕え、他の兄弟らにかまける父に代わり、親のように愛情を注いでいた。
雪斎は、うつけと呼ばれていた信奈の才を早い段階で見抜き。晩年は自分亡き後は今川家存続のみを考え、織田家と構えることは避けるよう義元に言い聞かせていたのだ。
それに信奈の弟である津田信澄の寝返りについては、事前の調査で最早彼の者に反意は見られず、守信はこちらを偽るための偽計だと疑っていた。また、傘下である松平家に怪しい動きが見られており、織田家が何らかの工作をしかけていると警戒していた。
「この戦、万が一にも敗北は許されません。それは今川家の滅亡を意味するのですから」
懸念を隠せない様子の守信。継承順位として、本来義元が家督を継ぐことはできなかったが。後継者となるべき兄らが病や戦で亡くなっていき、遂には義元が当主にならねばならない状況へとなってしまったのだ。
だが、当主としての教育を受けていなかった義元を、家臣らは認めようとせず、隙あらば彼女の地位を奪おうとしていた。
今までは雪斎や守信がそういった輩を抑えていたが、雪斎の死によりそれも難しくなっていった。
三国同盟により、後顧の憂いがなくなった隣国の武田と北条が領土を拡大させる中。領土への野心を持たない義元に家内での反発が強くなり、その者達への対策として尾張への侵攻が意図されたのだ。
そのため、もしもこの戦に敗れるようなことになれば。義元への不満は爆発し家臣らは彼女を廃して、我こそは当主になろうと内部抗争が起き、今川家は内側から崩壊しかねなかった。
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