第5話
そう残して、エントランスホールの階段を登っていく浩太の背中に、裕介が小さく、了解です、と返し、腰が抜けた状態の伊藤に肩を借そうとするが、あえなく、手を弾かれてしまった。
「借りを作ったなんて思わねえからな!」
「俺だって、そのつもりはないよ」
浩太の気配がなくなると、裕介を睨みながら伊藤の支持者が一斉に集ってくる。その視線を受け流しつつ、裕介は邦子に声を掛けた。
「助かりました。また、前と同じことを繰り返すところだった」
邦子は、シリンダーを止めていた右手を軽く振る。
「良いのよ。それにしても、何を考えているのかしらね……」
裕介の落ちた声音に負けず、邦子の返事も暗いものだった。
浩太が今のような状態になったのは、二年前、ある事件が起きてからだ。当時、街に食料を要求してきた、とあるグループを何者かが招き入れた。今に至っても犯人は判明していないが、多大な犠牲を払ってしまう。
九州地方からの脱出を支援した一人、浜岡という男は、誰よりも素早く危険を察知し、このエントランスホールでグループとの対話を求めた。しかし、近付いた相手がフルスイングした金属バットによって、命を落とす。
そこから先も、凄惨な出来事として、裕介の脳裏に深く刻まれている。
「あれから、もう、二年……そろそろ、前に進まなきゃいけないのに、あのままじゃ、信用を無くすことになるわ」
「けど、浩太さんも必死なんだと思います。あのときみたいな状況を作らない為に……」
「庇いたくなる気持ちは分かるわ、私もそうだから。けど……」
言葉を濁した邦子が、なにを伝えようとしたのか裕介も分かっている。だが、あえて、二人は会話を交わさなかった。
そして、ふっ、と息をついた邦子がポケットに入れた煙草を裕介に渡す。
「一度、浩太君のとこに行く前に、部屋にある薬の備蓄を確認してくるわ。達也君に会ったら、それ、渡しておいて。確か、出掛ける前に二箱しかないって嘆いてたから」
箱の中央に描かれた7のマークを眺め、裕介は頷く。
「もう無くなってるみたいだから、喜ぶと思いますよ。それから、亜里沙がどこにいるか知ってます?」
「亜里沙ちゃんなら、さっき、バインダーを持って歩いてたから、二階の食料庫にいるんじゃない?急いでたみたいだし、声は掛けてないから聞いた訳じゃないけど……」
首を傾げた邦子は、思い付いたとばかりに、唇にぴんと立てた人差し指を当て嫌らしく笑う。
「もしかして、逢い引き?」
「違います!ただ、呼ばれただけですよ!」
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