ハーメルン
忘れられた物語に結末を
一話 感染



村の外れにある小さな小屋。薄汚れた天井。
幽月は死を待っていた。
身体は動かない。身体の至る所に発疹が広がり、人としての原形を失いかけている。
死ぬならば鬼に負けたとき。
この世界に生まれたときから幽月はそう考えていた。
だが、まさか畳の上で死ぬことになろうとは、志半ばで天然痘を患うことになろうとは、彼は夢にも思っていなかった。

常中の呼吸をやめてから三日目。意識がある時間の方が短くなってきた。全集中の呼吸。いくら身体能力を向上させる呼吸方法だとしても、それは万病を克服する力ではない。押し寄せる病の波には逆らうことはできず、幽月は三日前にして死と痛みを引き伸ばすだけの無駄な足掻きだと悟った。その日以来、全集中の呼吸を止めた。身体を蝕む発疹は日に日に広がり、幽月を着実に死へと導いていた。

それから何日か経ったのか、今が昼なのか夜なのかも認識できなくなってきた頃、小屋の戸が開く音がした。幽月はまだ自分の耳が正常に機能することに少し意外に思った。ただそれ以上に己ができる事は何もない。建て付けの悪い戸はガタンゴトンと大きな音を鳴らしながら開いた。

首が動かせなかったから何者がやって来たのかは分からなかった。ただ、ここに人は訪れないのは知っていた。なら獣だろうか。そういえば以前聞いたことがある。疱瘡の感染を防ぐため己みたいに隔離された病人が唐突に消え失せたという事件があったらしい。親族の間では神隠しやら死神に連れ去れてたと騒がれていたが、事件の真相は何でもない。天然痘で動けなくなった病人を獣が喰らい持ち帰ったそうだ。

己も獣に惨たらしく食い殺されて野生に戻るのだろうか。一度目は何も変えられることなく平凡な人生を歩み、二度目の人生を与えられてからは人のため鬼を殺し続けたが、その結末がそれか。死を身をもって体験したことであったから知っていたが、人とはひょんなことで生を終えるのだなと改めて思った。劇的でも、悲劇的でも、喜劇的にもなく、誰にも看取られることなく、ひっそりと死ぬ。

幽月は忍び寄る死の足音を耳にしてそっと目を閉じた。だらが直ぐに気がついた。獣は扉を開けない。ましては建て付けの悪い扉など、とてもとても開けれるはずがなかった。

なら来訪者は何者か?まさか死神だろうか。それとも人か。ありえない。

幽月の動かない瞳に映り込んだのは一人の女性だった。彼女は幽月を覗き込むように見下ろしていた。そして言った。

「私は医者の珠世と言います。疱瘡で苦しむ患者がいるとお聞きして遠路からやってきました。ですが間に合わなかったようで…。見たところ貴方はあと数日の命でしょう」

珠世と名乗る医者は哀れむような瞳で幽月を見つめながら言った。

知っている。この時代に天然痘を治す術はない。幽月は静かに女性を見つめた。哀愁漂う女性の容貌と珠世という名前にどこか覚えがあった。それが何の記憶なのか正確には思い出せなかった。

「ただ人ならざる者に堕ちたとしても生き存えたいという望みがあるのなら、貴方の命を救う手立てがあります。ですが、それはとても辛く悲しい道です。人に疎まれ嫌われ、日の当たらぬ闇でしか生きられない。いっそのこと死んでしまいたいとも思える生き方しかできなくなるでしょう。それでも貴方は生き延びたいと思いますか?」

幽月は返事をしなかった。今の彼には喋る力も残されていなかった。だから、その返事の代わりに幽月が発したのは奇妙な呼吸音だった。珠世は聞き慣れない呼吸をする幽月の顔をじっと見つめていたが、間も無くして起こり始めた変化に思わず口を開いた。

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