ハーメルン
寒椿の君
15.日は紅影を催す

 身の丈に茂った馬酔木が花を咲かせる頃の昼下がりに、手に抱え込めるくらいの果実籠を携えてしのぶが訪れた。午前の時間を鍛錬に当てていた椿は、友人の来る前触れを受け取って、早速身支度を整えてしのぶを出迎えた。
「北海道から取り寄せたの」
 そう言って差し出された籠の中には、この辺りの青物屋ではほとんどお目にかかれない、林檎の果実が収まっている。
「何もかも頂戴してばかりで申し訳ないわ。お礼に上がらなければいけないのはこちらなのに」
 先だって、祝儀と介添を務めてもらったことの礼として、伊万里焼の皿と舶来の硝子細工を姉妹に贈った。その細工の華奢なことにカナエがいたく感激して気に入ってしまい、こんな良いものを貰ったからにはと、それにまた返礼の品を寄越したのであった。
 カナエ本人は、年明けから任務が立て込んでいて、今朝やっと自邸に帰ってくることができた。見た目は元気そうだったが、やはり疲れが溜まっていたらしく、今は久方ぶりの安眠に癒しを得ているという。
「まだ帯も返せていないし……少し待っていて、取ってくるから」
「いいのいいの。急いで必要になるものじゃないから、椿に持っておいてほしいの」
 しのぶがにこやかに手を振った。
「そんなことより、こんな大切なことを私たちに内緒にしておくつもりだったなんて、信じられない」
 このことを咎められるのはこれが初めてでもないのだが、ちくりと刺すような物言いには抗弁しようもなく、椿は首を傾けて心苦しくするしかできなかった。彼女の姉にも、まったく同じことを言われたのだった。
「ごめんなさい、本当に内内で済ませるつもりだったから」
 そもそも椿は金襴緞子で飾った花嫁を羨ましいと思う心を一切欠いた女である。そこにきて、本来父に用意され母から受け継ぐはずだった婚入りの道具を何一つ持たぬ身の上であったから、ますます華やぐ気分にもなれぬという、そういう気持ちで婚儀の日を待っていたのである。
「椿、私に何か言うことがあるわよね」
 しかし、常の穏やかさを湛えながらも、珍しく目の据わったカナエにこう問い詰められれば、内情を白状するしかなかった。
「本当に何も気を使わないでほしいの。形式だけのことなのだし」
「だめよ。形式だけと言うけど、形式は大切なことよ。一生に一度のことなんだから」
 カナエはその洞察力と、あとは単純に付き合いの長さで、友人が結婚という行為そのものに並ならぬ忌避感を抱いているのを見抜いていた。椿が結婚を受け入れた理由というのは、ただ愛する男がそれを望んでいるという一点にしかなかったのである。
 カナエには、恋とは素晴らしいものであり、もちろん結婚というのも幸せに違いなく、またそうあるべきだという信念がある。だから、不死川からどうか椿に良いようにしてやってくれと頼まれるまでもなく、自分にできる限りのことをしてあげようと決心していた。
「お願いだから受け取って。椿に使って欲しいの」
 カナエが椿に差し出そうとしたのは、婚礼装束の一式である。カナエとしのぶは亡母から立派な三襲の衣裳や角隠しなどの諸々を受け継いでいて、姉妹の意見の一致の結果として、それらを椿に都合したいと申し出たのだ。
「大切なものでしょう。血縁でもない私がお借りするわけにはいかないわ」
「こんな時に他人行儀にしないで。私はそんなに友達甲斐がない?」
「も、もうカナエったら、意地悪なことを言わないで……」
 椿は困り果てた。これはいわば姉妹の母の遺品であって、本来の持ち主を差し置いて使わせていただくのは失礼である。道理が通らない。しかし、これ以上ないほどに向けられた好意の証を無碍にするのは、もっと失礼である。

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