ブラッディムーン
双子山の東の麓に位置する双子馬宿。もう少し進めばふたご兄橋が見えてくるはずだ。
暗がりのなか、馬宿近くに赤く光るのは試練の祠。以前通りかかったときは光など放っていなかった。各地で塔がせり出したことに加えて、各地の祠もまた活動を始めたのだ。
緩やかに馬を走らせつつ、馬宿近くにある水辺に祠を確認したアルファは、馬上から地面へ降り立ち、手綱を引いて馬宿へ近づく。
馬宿のすぐ近くに人影が見えた。中肉中背の壮年の男だ。空を見上げて低い唸り声をあげている。
「この胸騒ぎ……今夜は何かが起こりそうな気がする……」
そう呟いた彼は腕組みをし、深い吐息をこぼしつつ、食い入るように空を見つめている。
つられてアルファも空を見上げるが、曇天の空が広がるばかりで、別段変わった気配は感じられない。重苦しく垂れこめた雲がまだらに点在している。陽は沈み、辺りはすっかり暗くなっている。馬宿から漏れ出す光がまぶしいほどだ。
山麓にあるこの馬宿には、吹き下ろしの風が絶え間なく吹いており、馬宿の風車はからからと四六時中回り続けている。吹き抜ける風の音のなかでカラカラと音を立て続ける風車の音は、よくよく耳をすませねば聞こえないものだ。
空から馬宿へ目を移すと、馬の頭と首が模された馬宿には幟旗(のぼりばた)が飾られており、ぱたぱたと暗夜にはためくのが見える。
すぐ傍らに立ち、同じ方向を不思議そうに眺めるアルファにようやく気づいた男は、腕組みを解いてアルファに向き合った。
「これは失礼。私はヒナバガン。ブラッディムーンの研究をしている」
「俺はアルファ。ブラッディムーン……とは聞きなれない単語だ」
小首をかしげるアルファに、瞳を輝かせたヒナバガンがブラッディムーンについて解説してくれる。
饒舌気味に語られたそれを要約すると、厄災ガノンの影響で魔物が活性化する赤い月のことを言うらしい。
そう言えば、ベーレ谷で見かけた旅人も赤い月だとか、口にしていた。
アルファの知らぬ間に、ハイラルの地ではブラッディムーンなるものが当たり前のように空に輝くようになったらしい。
「今宵の月は……」
ぼそりと口のなかで言葉を転がし、ヒナバガンは額に手をあて、前のめりになって山端を見つめる。
広大な平原の奥に佇む山がわずかに赤みを帯びていく。夕焼けとはまた違う、鮮血の如き赤さにアルファは眉をひそめた。脳の奥が鈍い痛みを訴える。
「見たまえ、いよいよブラッディムーンだ……!」
じわじわとせり出してきた月は、火の玉にも思えるほどに深紅の代物であった。禍々しい赤に歓喜したようにヒナバガンは突如として走り出し、叫び声をあげる。
「魔物よ、よみがえれ!!」
はっはっは、と低い声で笑い声をあげつつ走り回るその姿は、先ほどまでの落ち着いたヒナバガンとは別人のようだ。
若干冷たい目でそれを見送ったアルファは、煌々と輝く赤い月が雲に隠れた瞬間、わずかに頭痛が和らいだのを感じた。
月に隠されることを嫌がるように、再び丸い月の端が雲の合間から顔をのぞかせる。
『ルファ様』
若い女性の声が聞こえた。
耳の奥で聞こえたような、だけど鮮明に響くその声に、ふと意識が呑まれる。
その声は、若かりし頃のインパの声にも、ゼルダの声にも聞こえた。名前も知らぬ、女性の声にも聞こえた。
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