Scene2:レーゾンデートル
「遅れました」
職員室に入り、近くに座っていた教師を捕まえてそう言った。
二年生に上がったので、自分の組と教室を聞くためでもある。
そう言うと、教師は何やらファイルを取り出してそれを見た。
「えっと、犬山さんは……五組ね。ちょうど一時限目が終わった辺りだから、先生に説明したらいいと思うわ」
「ありがとうございます」
簡潔に述べられた言葉にお辞儀をして、職員室を出た。
一階には既に生徒はおらず、閑散とした雰囲気が漂っている。きゅっきゅと上ずった上履きの音だけが響く空間で、私は静かに階段を上って行った。
五組の扉を開けると、生徒らの視線が一瞬こちらに集まって、それから霧散した。どうやら二時限目が始まったばかりらしい。
少々の気まずさを感じながらも、遅刻したことを教師に告げる。どうやら私の席は右から二番目、窓側の横の横である。
腰を下ろす。春とはいえ、長時間放置されていた木製の椅子はひんやりと冷たく、募っていた眠気が消えていく感じがした。
ふうとため息を吐く。新学期初日から色々と忙しかったが、これで一息つける。
ちらりと横目で隣の席を見た。
小さいときに聞いた、私の幼馴染の趣味。誰かの横顔を見て、その、誰かに見られているなんて思いもしていない、無意識の表情を見て楽しむという奇行。
それを聞いた時、ぞっとした。ぞっとしたが、同時に尊敬もした。彼女は確固たる何かを持っていたから。私とは違って。私なんかとは違って。
──いけない、思考が乱れてしまった。
深呼吸をして、改めて隣の席を見る。
息を呑んだ。
肩甲骨辺りまで伸びた、少し癖の強い黒髪。旋毛から伸びる一本の長い髪。雪のように白く、陶器のように滑らかな肌。柳の葉のような眉。憂いを帯びた、どこか虚空を眺めているかのような瞳。座っていてもわかるほどにすらりとした体つき。
隣の席には、美少女が座っていた。
思わず、じっと見つめていた。見ていることがバレてしまうなんてことも考えていなかった。
しかし驚いたことに、顔を彼女に向けて目を逸らすことなくじっと見ているというのに、彼女は私の視線に気づいている様子はない。どうやら何か考え事をしているようだった。
別に、普通の少女だ。顔立ちは驚くほど整っているし、そのたたずまいも少しおかしいが、それでもただの一般人なはずだ。
それなのに、なぜか興味が沸く。
知らず知らずのうちに、私の口は開いていた。
「ねえ、あなた、名前は何て言うの?」
「……?」
ゆっくりと、少女がこちらを向く。授業中に話しかけられるとは思っていなかったのか、その表情はどこか驚きを含んでいるような気がした。彼女の無表情以外の表情が見れたことに、私は微かな喜びを感じていた。
麗らかな春の陽光が彼女を照らす。まるで後光が差しているようだった。どこか神秘的な少女は、ゆっくりと口を開いた。
「……夜凪景」
「夜凪景……さん。ふぅん、私は犬山千景。よろしくね、夜凪さん」
「…………」
愛想笑いを浮かべ、そう言うが、夜凪さんはそれ以上は何も言うことなく、再び黒板の方を向いてしまった。その瞳は先ほどと同じく、どこか虚空を眺めているもの。私のことなんて気にもかけていない態度。どうでもいいものと切り捨てられてしまったかのような。
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