第6話:11月(水)
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朝永寛一(あさながひろかず)。
二十八歳。近隣にある大学受験の学習塾において講師を勤めており、学習塾のホームページにも顔写真と名前が掲載されている。名前は尾行時に彼の住むアパートの表札から特定していた。
出勤時は常に電車を利用している。そして僕の通う高校の最寄り駅から仕事場の学習塾へと向かい、遅くまで授業をしているらしかった。
ホームページによれば担当科目は生物。趣味はデジカメでの写真撮影。おそらく偽りはないだろう。
僕はパソコンから目を離して思索を始めた。
何者かの存在に気付き、特定に至るまでの数週間、僕は彼の行動をできる限り追っていた。
尾行するうちに、僕は森野をつけ狙う彼の目に宿る密かな闇を垣間見た。今のところ、朝永は森野につきまとうばかりで何も手を出してこない。だが今後も危険が及ばないとは限らない。
これまでも何度か森野は命の危機にさらされている。今回も放っておけば僕の知らない所で予想外の事態が起きるかもしれない。
そのためにもまず彼の目的を知りたかった。もっと深い奥底にまで探らねばならない予感があったからだ。
探りを入れる手段は考えてある。
朝永の勤める学習塾のホームページには一週間の時間割も掲載されている。そこから朝永の担当する授業の時間を割り出すことは容易だった。
つまり、その授業の間、彼は確実に外出している事を意味する。
十一月中旬を過ぎた水曜日の放課後、僕は朝永の家に向かうことにした。
駅の裏手を少し歩いた所に朝永の住むアパートがある。二階建ての古いアパートで、僕の肩ほどの高さはあるブロック塀が建物を取り囲んでいる。
この時間、彼は学習塾で授業を行っている。時間割から考えて夜まで戻ってこない。そして朝永に同居人はいない。
「こんにちは」
アパートの門前で住人とおぼしき女性がこちらに話しかけてくる。僕は会釈を交わした。そのまま女性は買い物袋を携えて出かけていく。アパートに住む友人の家へ遊びに来た高校生とでも思われたのだろう。ほんのわずかでも怪しまれることがあってはならない。
朝永の住居は一階の角部屋だった。念のため玄関のチャイムを鳴らす。反応はない。朝永の不在を確信する。
鍵は旧式のものだ。ピッキングによって開けられない構造ではないが、他に侵入の手立てがないか確かめる。すると、玄関脇の小さなスペースで人が入れる大きさの窓を発見した。
窓は鍵がかかっていない。塀がすぐ後ろにあり、その向こうの隣家は一面が白い壁になっている。人の視線が入らない安心感からか、換気用の窓として鍵をかけずに使っているのだろう。
耳を澄ませ、辺りに人の気配がない事を確かめる。レールの上を走る電車の音が遠くから聴こえる。
指紋が付かないように、あらかじめ持ってきた手袋を装着する。
そうして僕は静かに窓を開け、部屋に足を踏み入れた。
持ってきた鞄の中に靴を仕舞う。部屋は片付けられておらず雑然としていた。仕事用とおぼしきスーツが床に放置された様子から、細かな事にあまり関心を払わない家主の性格を想起させる。
大きな物音を立てないよう慎重に動く。朝永がいま仕事場にいることはアパートの他の住人も知っているかもしれない。ならば本来誰もいない部屋から物音があれば不審に思うだろう。そんなことがあってはならない。
人の家に侵入するのはこれで二度目だ。しかしその時と事情の異なる今回は、侵入を悟られないよう動く必要があった。つまり、ここに来た目的もあの時とは異なるということだ。
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