第7話:11月(水)
全身が硬直した。
パソコンは起動したままだ。
もしもの時は一刻も早く窓から脱出しなくてはならない。
僕は耳を澄ませ、音の続きを待った。
……音は遠ざかっていく。バイクのエンジンをふかす音だろうか。
ふと、僕は薄暗い玄関のポストの下にある新聞の存在に気づいた。どうやら新聞配達員が夕刊を入れた音だったらしい。
僕は手首に二本の指を当てた。脈は速くなっていた。それはつまり、平静を失っていることを意味した。
深く息を吸いこみ、心を落ち着けようと集中する。焦りは致命的なミスを犯すことにつながる。
冷静に考えると朝永はいま授業中のはずだ。
もし彼が忘れ物に気づいたとしても、仕事の時間が迫っていればそちらを優先しようと考えるだろう。
すなわち、帰ってから携帯を探そうと彼が考えてもおかしくない。
床に転がった携帯電話を見つめながら、少し頭を巡らせた。僕はこの携帯が何かに使えるかもしれないという予感を抱いていた。
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8
家に戻ると、リビングで妹の桜がユカと遊んでいた。
「どこ行ってたの?」
僕はいつものようにコンビニ、と答える。その応対は半ばあいさつのようになっていた。リビングのソファーに教科書とノートが放置されている。そのことを指摘すると桜は苦し紛れにこう言った。
「忘れてたわけじゃなくてユカが遊ぼうって訴えてくるから仕方がなかったの!」
ユカは妹に目もくれず庭先に顔を向けていた。
「ねえ、棚に置いてたチケットしらない? あの展示会のチケット、チケットショップに売りにいこうと思ってたのにどこ行ったのかわからなくて」
「売ってもたいしたお金にならないよ」
二階の部屋に戻った僕はパソコンを起動した。
窓から夕日が差し込んでパソコンの画面を遮っていた。僕はカーテンを閉め、鞄の中から、朝永の部屋から持ち出した携帯電話と、ファイルデータの入ったディスクを取り出した。
そのディスクをパソコンに挿入し、ファイルを開く。
朝永はきっと、パソコンに書き残したメモをこうして誰かに読まれるなど夢にも思わないだろう。僕はテキストを読み始めた。
日記は森野と朝永の出会いから始まっていた。
八月。朝永が森野に遭遇した日、森野は駅のホームに佇んでいた。その日、森野は僕とあの駅のホームで待ち合わせをしていた。そして共にS山へ向かい、水口ナナミの死体を発見した。
次に森野を特定した時期は九月。記述から考えておそらく、ユカを僕の家に引き取った少し後だろう。
そして十月、森野が買った本のこと……僕に覚えがあった。机の引き出しから森野にもらったそれを取り出す。『スナッフフィルム』というタイトルの本。僕は得心した。うっすらと感じ取っていた彼の狙いが、明確な形としてあらわれ始める。
僕は、文章を通じて彼の追体験をしている錯覚を抱いた。
僕と森野が数々の事件に遭遇してきた裏で、この男は密かに動いてきた。
日記には続きがあった。
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11月12日
森野夜を見ているうちに、いつしか私は幼い頃のことを思い出した。
それは八月の暑い日のことだった。
夏休みを迎えた私は姉と二人で祖父母の家へ泊りに出かけていた。当時私は九歳の子供で姉とは少し年が離れていた。
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