第00話 講和
帝国最高統帥会議に出席した首脳陣の興奮を前にすれば、ゼートゥーアのこらえたため息もこぼれかけるというものだった。講和条約とは名ばかりの挑発と暴言が積み重なり、軍部が文字通り命がけで掴み取った終戦の糸を断ち切ろうと、いや、導火線にしようとすらしている。
あまりに合理でない。
ふと、いつの間にやら己の懐刀となった少女軍人の顔が思い浮かんだ。無能を蔑み合理を貴ぶターニャ・フォン・デグレチャフがこの議会を見れば、切れ味の鋭い皮肉が機関銃のごとく放たれるだろう。あるいは戦争を知らない彼らのために機関銃そのものを披露するかもしれない。
東部戦線の指揮を本来の司令に返し、遠路はるばる帝都へ戻ってきたものの、どうやら骨折り損で終わりそうだった。帰りがけにルーデルドルフの執務室から頂戴してきた葉巻は上等だったが、状況が上等ではない。ルーデルドルフの視線を気にせず三本ほど消費し、いかにこの連中を転覆させてやれば帝国を守れるかに考えを移しはじめたところで、会議室にどよめきが生じた。秘書の耳打ちを受けて、宮内尚書が発言したのだ。
「陛下のお言葉を賜りましたので、宮内省を預かる者としてこの場をお借りいたしまして……。たとい焔の熱さを向けあおうとも、のちに友となる国々なれば、共にあって永らえることを以て良しとせよ、と」
ゼートゥーアは驚愕し、また己が驚愕している事実にも驚愕した。
たとえ会議を開き、首脳陣が国家を動かしていようとも、帝国の権力は皇帝を頂点とする。国家の意思決定とその責任は皇帝が担うのだ。首脳陣が何を言おうと、皇帝が否とするなら、それが是になることはない。
つまるところ、これは和平の成立を意味した。
「……であれば、陛下の御心に従い、終戦に向けて一致団結するのが臣民としての務めでしょうな。すでに提言いたしましたとおり、友好国イルドアを仲介としての和平は十分に可能な状況です。参謀本部としては講和に最大限の協力を申し出る次第ですが、皆様のお考えをお聞かせ願いたい」
ゼートゥーアの発言に会議室は沈黙した。出席したそれぞれの困惑と苦悩が紫煙となって空気を濁らせている。
最初に手を挙げたのは財務省だった。
「ざ、財務省としては、和平が結べるならそれに越したことはありません。しかし、賠償金を外すわけにはいきますまい。すでに帝国経済は国債に依存しているのですぞ」
「このようなことを軍部の人間として口にするのは心苦しいが、連邦は負けたのではない。勝っていないだけなのです。彼らに賠償金を請求すれば、当然反発を煽るでしょうな」
「ではどうするというのだね、ルーデルドルフ准将! そもそもは敗北を与えられない軍部の怠慢ではないのかね!」
「それは参謀本部への公式な非難声明と受け取ってよろしいのですかな? 我々帝国軍の精強と献身があってこそ、帝国は外敵から守られてきたのですぞ。それを打ち捨てるとあれば――」
ここを限界と見た。
ゼートゥーアは手を打ち鳴らした。ルーデルドルフも財務尚書も、他の首脳陣もゼートゥーアに目を向けている。もったいぶった咳払いをひとつ挟んで、ゼートゥーアは東部戦線から持ってきた書類を一束取り出した。
「これは軍の最高機密であり、筆者については現時点で回答いたしかねますが、終戦後の帝国経済についての開明的な論文が先日提出されました。私の専門からは外れると判断したため、後方参謀を介して国内の経済学者や資本家、信頼のおける有識者に査読を依頼した結果、彼らは論旨の妥当性と合理性を認め、賛意を表した署名まで残してくれました。こちらを」
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