それなりに昔編その3 植民地編
今年(2017年)の漢字は「北」だそうですが、近代の漢字は「植民地」です。
近代で列強として登場した国は、植民地を持っていたと考えて問題ありません。
んで。
その植民地には、幾つかの意味があります。
属領・保護国または保護地・租借地・委任統治・信託統治。
一定の権利を保障される形式もあるのですが、
ざっくりでは、この時代に於ける植民地を、支配・被支配の関係とします。
相当魅力的だったらしく、列強は地球の至る所を片っ端から植民地にしていきます。
イスラム圏である中東を除き、だいたい全部。
その原理が、現代におけるブラック企業の会社と社畜の関係と、同じなら当然か。
近代をフォローするのに避けて通れないので、調べたら、芋づる式に膨大な量になりました。
なので植民地編で一本とします。
正直な話、近代を甘く見てた。
年代は、特に指定の無い限り、近代のWW1直前までの十九世紀です。
では、血と涙の植民地編、ざっくりスタート。
◆◆アフリカ大陸編
アフリカ大陸は大半が植民地でした。
由緒正しいエジプトも、スエズ運河絡みで英の植民地になりました。
殆どが英・仏の植民地です。
列挙するとキリがありませんので割愛します。
アフリカに於ける英・仏の植民地政策を、縦断政策(英)・横断政策(仏)と言います。
世界史ではアフリカ分割とまで言われてます。
英・仏の両国は、戦争までしています(ファショダ事件1898
これは英・仏が協調する切っ掛けとなりました(植民地を巡る談合的なイミで
闇が深すぎますな。
英「右半分は私」
仏「左半分は私ね」
ヤンデレも真っ青。
◆
英ネタを一つ(ボーア戦争1899~1902
アフリカのとある国で、金・ダイヤが産出すると分ったので、英がアレをしました。
この戦争は、軍医として参加していたコナン=ドイルが熱心に正当化していたんだそうです。
そうか。
コナン=ドイルとはワトソン博士の事だったのか(そこじゃない
◆
英仏以外。
ドイツ帝国(ビスマルクの)は、タンザニア・ナミビア・カメルーンです。
イタリアは、リビア・エチオピアです。
◆
第二ネタはコンゴです。
ここはベルギーの植民地でした。
手持ちの本には、コンゴの人口が二〇〇〇万から半分に減ったと書かれてます(レオポルド二世の治世)
十九世紀の後半でも、こんな事してたんかい。
◆◆
前々から疑問だっのは、これら植民地政策が、当時の列強の正式な政策だったのか? って事です。
植民地政策で先陣を切ったのはスペイン・ポルトガルでした。
なので、
後に追い越しますが、当時始めたばかりの英仏蘭などは、牽制の為に植民地に関する国際的な取り決めを作りました。
参加国は沢山です。
イギリス・ドイツ・オーストリア=ハンガリー・ベルギー・デンマーク・スペイン・アメリカ合衆国・フランス・イタリア・オランダ・ポルトガル・ロシア・スウェーデン・オスマン帝国。以上14カ国。
この会議をベルリン会議(1884~1885)と言います。
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