プロローグ
このベンチに腰を落ち着けて、どれほどの時間が経ったろうか。
だらしなく伸びた前髪が黒縁眼鏡を覆うので、僕は目ざわりなそれを片手で振り払う。
明るくなった眼前には芝生の広場が現れる。
僕より小さな男の子が、サッカーボールを懸命に追いかける。
父親と思しき人が、その子の後を追いつつ快活な笑みを浮かべる。
シートに座る母親に、僕より年上そうな女の子が、彼らを眺めてそっと微笑み返す。
……いかにも幸せそうな家族だ。
広場をもう少し見渡せば、そのような家族連れが多くいる。仲睦まじいカップルや、活発な若者のグループもいる。この広場は今、多くの幸福を生み出している。
――――どうじゃ、一枚撮ってみんか。
一人佇んだままの僕に、祖父ちゃんの声が耳の奥でこだまする。
隣にはもういないはずなのに可笑しい。僕と一緒にいるのは、首にぶら下げたポラロイドだけだ。
広場をまた眺めてみても、空しさが神経を伝っていく。モノクロに映る景色を撮ってみても、荒んだ僕の心は晴れやしない。
夕日が落ちる前に帰ろう。
そう思い立った僕が、ベンチに根づいた重い腰を、ようやく持ち上げようとしたときだった。
「あ、あの」
「うわっ!?」
「わっ!! 驚かせてごめんね!」
隣に息遣いを感じ、僕は思わずのけ反ってしまう。
跳ね上がった心拍を抑え、声のした方に目を向ける。
胡桃色の瞳を輝かせる、ボブ寄りショートな女の子。
僕と同い年くらいだろうか。
緩やかな目元にやや垂れた眉、控えめな鼻先が、おっとりとした印象を与えてくる。
「ずっとぼんやりしてるから、つい気になって声かけちゃって……」
申し訳なさを微かに漂わせながら、彼女は緩んだ照れ笑いを浮かべる。
ミノムシみたいな僕に話しかけてくるくらいだ。この子は見かけの印象に反して、気さくな一面があるのだろうか。
「それで、あなたは何年生?」
「……三年生、だよ」
「よかった! 私も一緒!」
屈託ない笑顔に切りかわった彼女の、憂いを感じない透き通った瞳に、僕は気圧されて身じろいでしまう。
「ねえ、その首にかけてるの、何?」
「え、ちょっ?!」
そこに壁なんて存在しないかのようだ。彼女は僕との間合いをまた一段とつめてくる。
女の子がこんな近くに来るなんて、身内以外では初めてだ。
期待でいっぱいにつまった表情が僕にはどうも眩しすぎて、思いがけず目をそらしてしまう。彼女はどうしてこんなに真っ直ぐ、赤の他人の顔と合わせられるのだろう。
僕の一本調子な話を聞いても、きっと退屈になる気がする。
けれど、何も話さないでいるのはそれこそ、彼女の機嫌を損なうに違いない。拙いながら僕は、彼女にポラロイドがどんなものかを説明し始める。
せっかく話しかけてくれた女の子に無愛想な態度を示せるほど、僕の心は腐りきってはないことにそこで初めて気づいた。
「写真なんだ!? どうやって撮影するの?!」
身を乗り出すほどの反応なんて予想していない。
照れくさくなった僕は再び彼女の視線から逃げ出す。そうして、自分の照れから生じる動揺を見透かされないよう、広場の写真を試しに撮って見せようとする。
[1]次 最初 最後 [5]目次 [3]栞
現在:1/3
[6]トップ/[8]マイページ
小説検索/ランキング
利用規約/FAQ/運営情報
取扱説明書/プライバシーポリシー
※下部メニューはPC版へのリンク