ハーメルン
アトロポスから一番遠い場所
避け得ぬもの(アトロポス)から一番遠い場所

「汝の名を告げよ」
「……イデア。イデア・シュラウド」
 イデア・シュラウドは地下の住人だ。冥府の一角である嘆きの島に生まれてからこの方、死者の国でゴーストと戯れ、時には冥界まで迷い込むような暮らしをしてきた。ハデスの支配地の他には十二神の加護ある天界山(オリュンポス)の麓しか知らなかった少年は、死者の国の王の勤勉な精神に基づく寮に振り分けられ、黒い馬車の迎えに応えてから初めての安堵の息を吐いた。

「イグニハイド寮生、付いてきて」
 今日は建物の中に直で繋いであると言いながら淡い白金の髪の寮長が先導する先に、炎と三頭の獣のシンボルが掲げられた鏡を通り抜けた先に、自らの髪に宿るのと同じ冥府(ハーデース)の気配があることをこのときのイデアは疑っていなかった。

 よく磨かれた鏡を、金糸で魔術陣の刺繍されたローブを纏った男らがくぐり抜ける。青く燃える長髪の一片さえ外へ漏らさないようにとでもいうように、ひときわ深くフードを下ろしてイデアもその列に続いた。水鏡よりも抵抗なく波紋一つ浮かばない、なめらかな魔法金属の表面を通り抜けて、その向こうの知らない空気にイデアが凍り付く。

 目眩がする。ここは、神に見放された地だ。この世のどこにもない場所、神の目の届かない地。足下から僅かに地下(ハデス)の気配がするばかりで、水辺にあるはずの河川(ポタモイ)海や泉(オケアニデス)も、それどころか常に頭上から骸布の子(イデア)を監視していたはずの忌まわしき天雷(ゼウス)の気配すら消え失せている。

「な、何。どういうことこれ、ハデス様助けて(Β Ο Η Θ Η Σ Ε Μ Ε Α Ι Δ Η Σ)……」
 天地がひっくり返ったような、異世界に迷い込んだような違和感。思わず喉元を抑えて座り込んだイデアは、寮服(くろいジャケット)の上級生が駆け寄ってきたことにさえ、気がつくまで暫しの時間を要した。

「うっそだろ。寮長!新入生が倒れた!人魚……じゃねえな、まさか妖精族か?」
 駆け寄った海色の髪の二年生、ナヴァール・ウィンストンがそう叫ぶ。ナヴァール自身はただの人間だが、妖精の友人が複数いる。うちの一人は制服のボタンですら火傷する金属弱性で、もう一人は植物系だとかで冥府たる方(ハデス)の支配地である地下を海中(オクタヴィネル)と同じくらいに嫌う。この新入生がもしそういった系統の妖精なのだとしたら、魔術防護の刺繍が張り巡らされた式典服をさえ抜けて悪影響が出たのだとしたら。

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