曹操(一):蒼天已死(後)
「申し訳ない、時間をかけた」
「まったくだ、華琳様の貴重な時が、貴様のような胡乱な男のために」
「それで、許劭殿は何を見られた?」
「さて、どうであったか。かえってこちらが色々と教わったような気さえするが」
「おいっ、無視して話を進めるなぁ!」
『月旦庵』より出でた男がほぼ連行のような形で引き取られていく。
遠のくその姿を見ていた華琳ではあったが、許劭もまた庵を出てきて白日の下にその身をさらした。
「あら、お見送り?」
とからかう陳留太守に、
「わたしも旅に出る。荊州の劉景升殿の赴任祝いに招かれている」
と隠者は答えた。
名士らしいのからしくないのか。面白味に欠けた返答に「でしょうよ」と内心で毒づく。
何しろ彼女の姿は旅装である。
赴任祝いにわざわざ都の名士を招聘するなど聞いたことがない。つまり、用向きは自分たちと同じ。
(あちらにも、落ちたか)
もっとも荊州刺史の劉表の場合は、評判付けが主目的であろう。
すなわち、救世の雄が自身の下へ舞い降りたのは、皇統として世を改め、治めよという天意であろうと皆に知らしむると。
(果たして、黄祖たちの軍閥さえ持て余す彼女に、その者らを従えるだけの気骨と決断力があるのかしらね)
赴任前に宮中で見た、したたかな野心を感じさせつつも押し出しの弱そうな年増女へ、華琳はあらためて冷笑を向けた。
「劉表に仕える気? それならばいっそ」
「そのまま旅に出る。今後は都も荒れるだろうし、これを機に巡っておきたい」
自分の許に来い、という前に先手を打つ形で許劭は言った。
荒れる。予言めいたその言葉にふと、気にかかった。
たしかに今の朝廷は惰眠をむさぼる皇帝と、外戚と十常侍らの権謀渦巻く毒蟲の巣となっているし、それによる政の乱れが、暴徒や賊の発生を許してはいるが、『荒れる』とは一体……?
「彼は」
まるでその失言を隠すように、即座に女隠者は話題を切り替えた。いや、本来の華琳たちの目的に戻ったといった方が正しいか。
「蒼天を往く者。智勇仁いずれに傾くことなく欠けるところがない。士大将として人として、これほどに完成された者はいない。曹操殿は数多の星の中で最優を引き当てた」
だが、と言葉は続く。
「問題は、貴女自身の内にある」
華琳の鷹眼が歪む。もし春蘭が居残っていたら、この前置きの時点で即座に叩き斬っていたことだろう。
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