浄
巫女の名は博麗霊夢といった。
美しい人だった。その容姿が比類のない美貌であったことは事実だが、何よりその在り方こそが己の心を掌握して止まなかった。
孤高。何者も捉えられぬ遥か彼方に佇むかのような。
いやあるいは色即是空、そうした概念を体現するかのような。
純一だった。不純物のない水。珠玉。大気。あたかも自然物の調和で存在する少女。
時間を共にすればするほど胸の内より湧き上がる感情は、一種崇敬に近しいものだった。生物として同様のカテゴリにあることが信じ難い。それほどまでに彼女は完璧な―――――――馬鹿馬鹿しい。
そこで俺はようやく、はたと気付く。
それら全ては己が思い描く妄想だ。押し付けの憧れ、心象。あるいはそうあって欲しいという自儘な願望に過ぎない。
身勝手ここに極まる。博麗霊夢という少女に対して俺は、あろうことか自己の作り出したイメージをお仕着せようとしたのだ。
身の程知らずも甚だしい。
そしてひどく、酷く穢らわしかった。精緻な硝子細工に薄汚れた手で触れるかの嫌悪感、背徳感、罪悪感。
あわや軽挙妄動に走りかけ、しかしこうして我に返ることが出来たのは、自己嫌悪からくる自虐、自罰が功を奏したから……という訳ではない。
何のことはない。ただ知ったのだ。彼女を。
ほんの数ヶ月にも満たない時間、それでも現実の、実体としての彼女と言葉を交わし、その生き様を見てきた。
霊夢という名の、あどけない少女を知った。博麗の巫女という責務の仮面の下に、年相応の、一人の少女の貌を見た。
博麗の巫女として、魔を断ち、時に神すら屠る超人。
己の拙い手料理に、ぶっきらぼうな言葉とは裏腹な綻んだ顔を覗かせる少女。
どちらも同じ博麗霊夢。人を超えながら、人のままに在る。
その在り方を尊いと思った。
同時に、とても危うい、とも。
幻想郷という一個の世界を護る巫女と、未だ年若い……幼い子供。その二つが奇跡のような完全性を以て均衡しているのが彼女だ。
針の尖端で揺れ動く弥次郎兵衛を見るようだった。揺れ、傾くことはあっても、決して落ちることはないのだと知っている…………知っているのに、心持ちは泰然とは対極へ向かうばかりだった。
彼女の超然たる精神とは真反対の、己が博麗さんと呼び慕う“人”の部分が、その内に倒れてしまわぬかと。
凡夫並の、安直な危惧が胸を占めるのだ。
そう、そうなのだ。この凡夫が最も惹かれたのは、人並外れて秀でた能力を備えた彼女ではなくて。
「家に帰った時、灯りが点いてるのって変な感じね……不思議と、ほっとする」
ある日の、茜色に染まる境内で。
それがほとんど無意識の呟きだったからだろう。彼女は夕空よりもなお一層顔を赤くして一度こちらを睨むと、そのままそっぽを向いてしまった。それは平素の泰然自若とした彼女からは想像し難い、ひどく不器用な姿だった。
その不器用さを、愛おしいと思った。
孤高でありながら孤独の寂しさを知っている少女が、労しかった。
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