第十三話 『違和感』 喜代田章子 夜見島/崩谷 0:40:38
喜代田章子が目を覚ますと、アスファルトの道路のど真ん中だった。ヤバイ。酔っぱらって路上で寝るという嫁入り前の乙女にあるまじき失態をしてしまったか、と、一瞬思ったが、すぐに思い出した。ここは夜見島で、島を覆い尽くすほどの巨大な赤い津波に襲われたことを。周囲を見回す章子。すぐそばに軽トラックが停められてあり、その近くには小さな公園がある。砂場とアリクイの置物くらいしかない小さな児童公園だ。その先には古い団地が見える。見覚えのない場所だった。蒼ノ久漁港とは明らかに違う地区である。津波で流された……わけではないだろう。島を覆い尽くすほどの巨大津波に襲われたのなら、多くの建物が倒壊し、瓦礫などが流されてくるはずだが、見える限りそのような形跡は無い。ここから見る限り団地はしっかりと建っているし、道路にはところどころに空き缶やたばこの吸い殻などのゴミが落ちているくらいだ。とても津波が去った後には見えない。やはり、あの津波は現実ではなかったのだろう。ただ、連れのリーゼントこと阿部倉司の姿は見えなかった。
よっこらしょと立ち上がる章子。とりあえず阿部を探さなければならない。近くにいればいいけど。まずは団地の方へ向かおうとして、不意に、強烈な頭痛に襲われた。二十九年分の生理頭痛を今この瞬間に凝縮したようなひどい痛みに、頭を押さえてうずくまる。すると、目を閉じているにもかかわらず映像が見えた。左官用のこてを使ってモルタルの壁をならす映像、両手に大きな斧を持って道を歩く映像、「腹減ったなー。お? ラッキー。やっぱオレ持ってんなー」と道端に実っていた果実をもいで食べる映像、小さな鎌のような物を持って狭い階段を上がる映像……様々な映像が次々と見えては消え、また見える。どれも、主観視点とか一人称とかファーストパーソンとか言われる映像だった。
――え? なにこれ?
戸惑う章子。章子には人や物の過去を読み取る特殊な能力『過去視』があるが、いま見えているのは、いつもの過去視によるものではない。過去視は、人や物に手で触れ、そこに宿った『残留思念』のようなものを読み取る能力だ(詳しい仕組みは章子自身にも判らないが、少なくとも章子はそうだと思っている)。何にも触れていないのに、勝手に思念が流れ込んできて次々と映像が見えるなど、今までなかったことだ。
目を開ける章子。頭痛は嘘のように消えていた。軽トラックと児童公園が見える。これは、まぎれもなくいま自分自身の目で見ているものである。では、さっきのいくつかの映像はなんだったのだろう? 脳梗塞とかで幻覚が見えるとかだったらヤバイな、と思っていたら。
――これは幻視。この島に古くから伝わる、他人の視界を覗き見る特殊能力。
不意に、そんなことを思った。いや、頭で考えたというよりは、胸の奥底から湧き上がってきた、という方が正しいかもしれない。
さらに。
――あれは屍人。海から来る穢れが死体に憑りつき、生きている人間を襲う。
――ここは、蒼ノ久漁港の南東にある崩谷という地域。夜見島金鉱で働いていた鉱員とその家族のために建てられた社宅がある。
胸の奥底から次々と知識が湧き上がる。まるで、古くからこの島に住んでいたかのようだ。だが、もちろん章子は過去に夜見島に住んでいたことなど無い。島を訪れたことも無く、夜見島という名前さえ二日前に知ったほどだ。今日この島を訪れることになったのは極めて突発的なことであり、事前の調査などほとんど何もしていない。なのに、多くの島の知識がある。なぜ自分がそんなことを知っているのだろう? いや、知っているという感覚とは、少し違うような気がした。それは、古い記憶がよみがえるのではなく、自分の胸の奥底に別の誰かがいて、その誰かが知識を授けてくれているような感覚だ。
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