ハーメルン
影武者華琳様
15.『拓実、占い師に見止められるのこと』



 華琳の私室から拓実が逃げ帰っての翌日。荒野に倒れている日から数えての五日目は、雲が空を覆っていて薄暗く、地面が軽く湿る程度の小雨模様であった。陳留の街も晴れて乾燥した日ならば黄砂が舞って(もや)がかるが、今日はすっきりと見える。

 身だしなみを整えた拓実は桂花と合流して本日の仕事内容の再確認をした後、昨日よりもいくらか薄暗い執務室にて帳簿の記録を(さら)っていた。そうして朝食前までに買い付け先の商人との売買記録をまとめ、食後には実際に商店へと赴いて実状を確かめると場合によっては桂花がそのまま交渉に移る。
 それをこなしている間、華琳より業務に口出しを許されている拓実はといえば特に発見もないままに荷物を持ってついて回るだけであった。物資買い付けで使えるような現代知識なんて拓実は持っていなかったし、そもそも物価を正確に把握しているかどうかからして怪しい。昨日に続いて桂花の仕事に非の打ち所がなかったというのも大きかった。
 ただ何も出来なかったからといって何も得るものがなかったという訳ではない。実際に商店に訪れ話を聞けたのは、拓実にとっていい勉強になった。また、双方に利をもたらせるように考えられた桂花の交渉を目にしたのだって得がたい経験だろう。
 そんなこんなで、あちらこちらへと足を運んでいるうちにあっという間に時間は過ぎ、桂花がその日に任されていた仕事は終わったのだった。

 昨日は不審な様子を見せていた桂花はというと、まだ拓実に対して戸惑っている部分はあったがその態度は軟化しつつあった。華琳に言われていたように拓実は対応を変えず、努めていつもどおりに振舞っていた甲斐あって、夜に華琳の元へと報告に向かう頃には会話もだいぶ元通りになっている。
 先日とは違って互いに意見を述べながら報告する姿に華琳も眉を開いて明るい顔を見せた。放っておくようにと言いながらも気に掛けてくれていたようだけれど、しかし僅かに見せたその小さなサインはすぐに平静な表情の下に塗り固められてしまう。
 半ば人間観察が癖になっている拓実に華琳のその振る舞いには思い当たるものがあった。自身の喜怒哀楽の感情を読ませないことで場の空気をコントロールする、権力者の表情の作り方である。対面するだけで相手を威圧し、場を自身のペースに巻き込む。当然、油断ならない奴と警戒を招くことになるが、人の上に立つ要職にある者なればそれが正しく利に転じるのだ。
 ただ他陣営の者が相手ならいざ知らず、配下の前ではそういったものを表に出してくれた方が親しみを覚えるだろうに、華琳は感情を表に出すことを好まないようである。大笑いしている華琳を見て嬉しそうにしていた春蘭の姿は拓実の記憶に新しく、そして華琳がその振る舞いを失態だったとして反省していたのも拓実はしっかりと覚えている。華琳は、他人に弱味を見せたがらない。おそらくはいつでも冷静に、完璧な主君であろうとしてのことなのだろう。

 ともかく昨日のこともあって戦々恐々としていた拓実だったが、その思惑は外れた。結果として夕暮れまでに仕事を終わらせて、華琳への報告もまた大事無く一日を終えることになった。そうして大事にいたらなかったことには、昨夜に華琳に予告されていた拓実の生国に対する問答も含まれている。

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