17.『曹操、拓実について思案するのこと』
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中庭には、くたびれた犬のように舌を出してぐでっとだらけている少女の姿があった。
息は弾み汗をだくだくと流して、見るからに疲れた様子だというのにそれが心地良いのか表情は明るい。女性の身から見ても、ぱっちりとした目で表情豊か、愛嬌ある可愛らしい顔立ちであった。地面に投げ出した脚の肌が露になっていることからわかるように、着ているものは動きを邪魔しない丈の短いものであり、髪も顔にかからないよう後ろに流していて全体的に活発な印象を受ける。
「はっ、はっ、はぁ……うへー、へとへとだぁ。しばらくは動きたくなーい。つかれたー」
情けない声を上げた少女は全身の疲労により自力で立つこともままならないらしく、目を瞑ってただただ息を整えようとしている。形振り構う余裕なんてないほどに疲弊している筈なのだが、度を過ぎたはしたなさは見えない。とはいえ、それで無理をしている様子もない。
そんな少女――いや、少女になりきっている拓実の様子を、華琳は複雑な表情で眺めている。側で見ている華琳からしても、その様子に不自然なところを見つけられない。これが男のしている演技だというのだから、生粋の女性である華琳としては改めて信じられない思いがしている。
おそらく演技している状態では、そうあるべき行動を取ることが拓実にとっての自然体となるのだろう。そうでなければ、こうまで違和感を感じさせずに振舞うことは出来ないはずだ。これほどの完成度で別人に成り切られてしまっては、いっそ演技の一面として応対するよりも知識を共有する別の人間と認識した方がよいのかもしれない。滅多な事がない限り綻びを見せない拓実の演技に内心で感嘆しながらも、華琳はそんなことを考えていたのだった。
手合わせを終え、華琳にとって色々な意味で衝撃的だったあの発言の後。拓実は引き続き、声を上げて元気に剣を振るっていた。
しかしそれが満足に続いていたのは初めの数分だけだった。両手で握っていた剣を片手に持ち替え、手合わせの際の華琳の動きを体に覚えさせるように反復しているうち、まず楽しそうな掛け声が聞こえなくなった。続いて疲労で腕が上がらなくなり、それに伴って剣速は落ちて鈍くなっていく。動きにしても目に見えて踏ん張りが利かなくなり、重心はふらふらと流れてしまう。始めこそ華琳の動きを正確に、それこそ鏡に映したようになぞっていただけに、こうなっては最早見る影もない。
それからいくらもしないうちに全身が言うことを聞かなくなった拓実は、地面に仰向けに転がって息を激しくすることになっていたのだった。
拓実がそうして素振りをしている間、華琳は拓実の人格の変化に今更ながらに戸惑っていた。それは拓実と会った当初からずっと感じていたもので、荀攸と許定の間にある差異によって明確になったものである。
演技をしていない状態の気弱でどこか儚げである拓実に、華琳を写し取ったように威厳に溢れた影武者としての拓実、思慮深く理屈っぽい男嫌いの荀攸に、明るく奔放で明け透けな許定。
それらの性格は違いすぎていて、華琳の頭の中では今でも一人一人が同じ人物だと上手く繋がらないでいる。そうやって華琳の認識を妨げているのも、話し方や仕草、目に見える性格などの表層だけではなく、それぞれ内面――嗜好や考えの組み立て方までに違いが生まれているのを理解出来てしまうからだ。
極端な例としては、やはり荀攸と許定であろうか。今朝に献策していた時は活き活きとした様子の荀攸であるが、その後に警備隊に組み込むと言われた時には隠そうとしても隠し切れずに落胆した様子を見せていた。だが、これは決して拓実個人の意に沿わない話ではなかった筈だ。今朝に献策した警備補填案の基礎知識となるものであるから、その情報を得られる機会というものを本来は歓迎すべきである。しかし、拓実の演じている役柄として相応しくない――つまりは桂花であれば絶対に任されないであろう肉体を使う仕事に対して、忌避感を覚えていたのだろう。
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