ハーメルン
影武者華琳様
9.『拓実、許緒と顔合わせするのこと』



 華琳と春蘭に呆れた目で見られている中、大鎌の下から何とか這い出た拓実だったが、立ち上がることなく座り込んだままでいた。手の中の鎌をぼんやり見つめているが、拓実は実のところ途方に暮れていた。
 これをどうしていいものかわからないでいた。最終的にはこの大鎌を武器として扱えるようにならないといけないのだが、どうにも上手く扱っている自分の姿が想像できないのだ。

 実際に握り、振ってみて、拓実自身が扱う上での問題点はいくつも見つかった。まず挙げられるのはこの鎌が結構な重さを持っているということ。鎌自体からして金属の塊であるからそれは当たり前なのだが、ここまで重たい長柄のものを振るう機会は拓実の人生において一度もなかった。長さだけということなら掃除のモップやほうきでチャンバラしたことはあったが、それら木やプラスチックとは比べものにならないほど重たいのである。
 だがこれでも重さという点で見れば然程のものではない。春蘭の大剣は言わずもがな、兵士が使っているという剣の方がいくらか重たいくらいである。しかしその重量差を差し引いたとしても、拓実にはこの大鎌は扱いにくくてしょうがなかった。直剣などの棒状の物よりも刃先に重さが集中しすぎている為に持ちにくく、腕力だけでなく握力もないと刀身の重量で刃先が勝手に下へ向いてしまう。
 拓実は演劇の大道具を運んだりしていたので人並みの筋力を持っているつもりだったが、これについてはまるっきり勝手が違っている。運用のとっかかりからして掴めない。ちょっと練習した程度で扱えるような武器ではないことは確かだった。

 筋力不足に、経験不足。加えて今の拓実には、武を学ぶ熱意が不足してしまっている。他は鍛えればなんとでもなる。しかし最後のひとつはその鍛錬に必要なものであって、改善についても如何ともしがたい。
 桂花の演技をしている拓実はどうにも武術を熱心に習う気になれない。武の才を持たなかった桂花の根本には『荒事は他に得意とする者に任せればよい』という思想があった。もちろん才があったなら戦働きもしていたかもしれないが、現実に桂花は持たざる者。それがわかっているから桂花は内政能力を磨き、知識の吸収に全力を注いでいるのだ。
 だからもし近い将来に桂花の身に危険が迫るとわかっても、彼女は自身の武を磨いたりはせず身辺を護衛で固めることだろう。いや、そもそもそんな機会を相手に与えないように頭を働かせるだろうか。どちらにせよ、自身の武力で状況を打開しようなどとは考えないはずだ。

 桂花は軍師であることに誇りを持っている反面、武の才能を持たない反動から荒事を嫌っている。そして桂花になりきる拓実は、そんな価値観までを共感してしまっている。相手の価値観を理解することは演技をする上で不可欠であり、自身であるように共感して演技する拓実は、自身が桂花とは別人であるとわかっていても思考が引きずられてしまうのである。のびしろが小さいとわかっている武を熱心に習う桂花など、最早別人物である。そんな根幹に矛盾がある人格に拓実は共感できず、共感できなければ演技することだってできない。
 たとえ拓実が武を学ぶ意欲を持っていようと、どれだけ必要なものだとわかっていても、桂花の演技をしている以上はあまりに逸脱した行動はできないのだ。他人になりきることが出来る演技力は多くの利点を生むが、ここに至ってはその弊害が目立ってしまっている。

 結論として、どうやら桂花の姿をしている時に調練をするのは適さないということになるのだが、しかしそれでは困ったことになる。しばらくという条件付であったが、城内では桂花の演技をしているように華琳に命を出されたばかり。演技をしていない素の南雲拓実であればまだマシなのだろうけど、その姿で春蘭より調練を受けることは華琳より許されていない。

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