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「見たよ。でも、入江君バイト入ってなかったはずでしょう?」
「やっぱり」と僕はつぶやいた。十月十五日。その日は確かに昨日まで予定で埋まっていなかった。けれど、状況が変わったのだ。
昨日の今日だ。自分が当事者では無ければ確認なんてしないかもしれない。そうなると意地悪だったのは僕だったかもしれない。
「欠員が出てな。昨日急遽ヘルプを頼まれてさ。予定もなかったし、請け負ったんだ」
「そうだったんだ」
「グループに連絡出てないか? 『シフト表更新』って」
僕が促すと黛がスマホをちらりと見た。「ホントだ」と彼女が頷く。僕は彼女に業務連絡についてまだ教えていない。いろいろと一度には覚えきれないと思ったから、後回しにしていたのをすっかりと忘れていた。
登下校中に仕事の話をするのは気が進まないけれど、知らないと不便なのは間違いない。だからここらで教えておくことにした。
「グループラインには休みの連絡とか、シフトとかいろいろ店長が情報を乗せてくれるから、仕事に行く日は特に確認しておいた方がいい、ある程度状況がわかっていた方が働くのが楽になる」
「そこまで変わる?」
「結構な。『一人病欠で、ヘルプが誰も来れない』ってわかったら忙しくなるのは想像がつくだろ?」
「そっか」と黛が頷く。
僕が彼女に話した例は極端だ。そんなことはめったにない。基本的にはヘルプはついてくれている。ただ、よくある例はわかりづらいのだ。『サボりがちな奴がヘルプに来るから、むしろ忙しくなる』なんて彼女にはあまり伝えたくはない。まあ、休みの日に引き釣り出されてモチベがいつもより下がるのはわかるけどさぁ……普段よりもサボりに力を入れるのは止めてくれ。頼むから。
「何かあった時はここに連絡すれば、店長が対応してくれる」
「じゃあ私が体調不良で休みたいときはここに連絡するんだ?」
「そういうこと。後は店長が空いてる人員に電話かけて、出れる奴がヘルプに行く。誰が代わったかもここでわかるから。もし代わってもらったらお礼を言っておくといいよ」
「わかった。ありがとう、入江君」
黛が儚げに微笑む。ブレザーのポケットにスマホを入れた。僕は「どういたしまして」とたどたどしく言葉を返して、強くハンドルを握った。
僕は未だに黛と話すことに慣れていない。僕にとって彼女は、遠くから眺める柵に囲まれた美術品のようだった。
自分に向けられている笑顔をちゃんと受け入れることはまだ難しい。月曜日の自分から見たら贅沢な悩みだと思う。けれど、それだけの異常さが近日は感じられていた。
「でも、残念だな。いろいろと教えて貰ったお礼に“イイこと”してあげようと思ったのに」
彼女の唇がやけに艶っぽく見えた。そういう性癖がないにしてもフェチになってしまいそうになる。周囲の生徒がひそひそと話しているのがわかった。
それにしても何? 良いことって! いや、めちゃくちゃ気になるんだけど! 遠くに見える山々に叫びたくなる。
黛に夏祭りに誘われた時点でもすごくいいことだと思うのに、プラスアルファで何かついてくるのか!? そんなの反則だろ。めちゃくちゃバイトサボりたくなっちゃうじゃん。
「……良いことってなんだよ」
「別に、入江君には関係のないことでしょ」
「まあそうだな」と僕はそっぽを向いた。彼女がにやけているのがチラリと見えた。
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