03
「おい、入江どういうことだよ」
クラスメイトの一人が声をかけてきた。夏休みが明けたというのに彼の名前を未だに憶えられていないことが申し訳なかった。
「どういうことって、何がだよ」
「昼のあれ! 黛に話しかけてたじゃないか」
それは僕が理由が聞きたい。あれだけ会話にbad判定が付きそうなミスをかましておいておきながら、結果として彼女と楽しく会話をできてしまった。それが不可解でならない。
彼を皮切りに、他のクラスメイト達が男女入り乱れて近寄ってくる。したことがない体験にうろたえて、ヘルプを五十嵐に求めようとしたけれど彼は部活に一直線。もう教室には居ないことを失念していた。
「何か弱みを握ったのか?」
「握ってない!」
「私にも紹介して」
「紹介できるほど仲良くない!」
「じゃあいったいいくら貢んだんだよ」
そうだそうだと詰め寄るクラスメイト達を目線で制した。俺をなんだと思ってやがる。バイトをしているからと言ってお金持ちってわけではない。何なら俺よりもお前達の方が黛に貢げる環境下にいる。それに、俺の稼いだ金はそんなつまらないことに使われていると想像されたことに腹が立った。
周囲の反応が芳しくないことを察する。ああ、やっちまった。接客業に従事する人間としては失格の反応だった。落ち着けば冗談の類だとわかるだろう。店長が見ていたら間違いなくどやされる。一呼吸して気持ちを落ち着かせた。
……僕の時間だって無限じゃない。当然のことながら限りがある。出勤時間までのカウントダウンはもう始まっている。だから適当なことを言ってこの場から逃げることにした。修正するのも面倒だし。どのみち彼彼女らの望む答えは持ち合わせてない。
「悪い。今のは無し。まあ、強いて言うなら……」
「強いて言うなら?」
「貢ぎ先は学校近くの山の上の寺。賽銭箱に五円。ゲン担ぎも案外馬鹿にできないな」
「それじゃ」と歩き始める。
何か言いたそうな声を漏らすクラスメイト達だったけれど、僕が一クラス分程度に離れるともう追ってくる気配はなくなっていた。
階段を下って、下駄箱のスニーカーを手に取る。つま先で床を二度叩いて、校舎から出た。ブレザーのポケットに入れていたスマホが振動する。
出勤直前の連絡は確認しないと面倒なことが多い。客の入り方によっては急がなければいけないことだってある。念のため足を止めて電源ボタンを押した。
『駐輪場で待つ』 黛
黛、僕の記憶にある限りでは一人しかもっていない苗字だった。でも僕は彼女に連絡先を教えていない。クラスのグループにも彼女は誘われていなかった。
名前だけ変えたクラスメイトのいたずらか、はたまた、今日の昼の光景を見た何者かによる逆恨みからの報復か。どちらかはわからないけれど、用心するに越したことはない。ただでさえうちの学校では自転車に張るステッカーに本名を書くことを義務付けられている。特定は容易なのだ。今のご時世ではこの校則に疑問を抱くけれど、修正には至っていない。
屋根の下の駐輪場。自分の自転車を陰から眺める。そこには荷台に腰を掛けて、退屈そうに両足をぶらぶらとさせている黛の姿があった。まさかの本人であるとは流石に予想していない。今日はエンカウント率が明らかにアップしている。それこそ世界に修正が入ったみたいだった。
[9]前話 [1]次 最初 最後 [5]目次 [3]栞
現在:1/3
[6]トップ/[8]マイページ
小説検索/ランキング
利用規約/FAQ/運営情報
取扱説明書/プライバシーポリシー
※下部メニューはPC版へのリンク