ハーメルン
錦の輝き、鈴の凱旋。
第10話:歴史の転換点

 これは私がまだランドセルを背負う年頃の話だ。
 中山レース場、四月中旬。皐月賞。
 奥側の直線を走っていた時、ビゼンニシキは6番手辺りに付けていた。
 2枠3番というスタート位置も相まって、バ群の内側に埋もれていた事までは覚えている。
 しかし桜並木が咲き誇る第3コーナーに入った辺りで彼女は姿を消し、第4コーナーで大外を捲ったシンボリルドルフの直ぐ後ろで姿を現した。
 まるで瞬間移動でもしたかのような見事な手際に一瞬、心が奪われた。
 わあっと沸き立つ観客達の歓声で正気を取り戻し、観客席の先頭、その柵から身を乗り出して勝負の行く末を見守る。もう隣を走る1番人気のウマ娘の姿なんて目に入らなかった。
 真っ白な勝負服を着込んだ栗色の髪を揺らすウマ娘。
 がっちりと後ろに付けた後、鮮やかなスパートを決める姿を幻視した時から私、グラスワンダーは彼女の虜だった。
 この後すぐ親の都合で渡米した後も、幻視した彼女の姿が瞼に焼き付いて離れなかった。


◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇



 第4コーナーを抜けて、最後の直線だ!
 斜め前に居るシンボリルドルフ、ずっと傍目に確認していたが今、この瞬間に視線を切った。
 もう追い掛けない! 後はゴールまで駆け抜けるだけだ!

 左脚を全力で踏み込んだ――瞬間、身体が微かに右へと寄れる。

 こんな時に癖が出たか!
 衝突しないように修正する、真っ直ぐに走らなければシンボリルドルフの脚から逃れ切れない。
 だから真っ直ぐにゴールを目掛けて駆け抜ける。

 その時、視界が真横にブレた。
 右肩に感じる衝撃、踏ん張った左脚に激痛が走る。
 よろめく身体、それでも前だけを目指して駆け抜けた。
 まだ抜けてない、まだ抜け出せていない!
 半バ身先を行くシンボリルドルフを抜く為に右へ左へと揺れる身体を痛む脚で必死に制御する。
 よし、と姿勢を正せた時に再び右肩に衝撃があった。

 何故? と困惑する。お前はそんなことをする奴じゃないだろう?

 前を見れば、私と同じように困惑するシンボリルドルフの顔があった。
 ので、私は左脚に力を込める。もっと前へ、更に前へ、芝を踏み締めて、少しでも前へと走り出す。
 まだまだ、まだまだだ! ちょっと肩を当てられた程度で負ける私じゃない!

 手を抜くなよ、脚を緩めるな。
 お前はそんなことをする奴じゃないのならしっかりと完走してみせろ。
 その上で私がお前を抜き去ってやるッ!


◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇  ◾️  ◇



 ビゼンニシキが直ぐ横に付けていたことで混乱した。
 だから一旦、考えることを止めた。思考を放棄して、ただ負けるまいと彼女よりも前を走ることだけを考えた。
 レース中、身体をぶつけに来る相手は多くいる。その多くはレースの序盤から中盤にかけて、できるだけ良い位置を取る為に身体を擦り付けたり、前に出る為に空いた隙間へ強引に身体を捻じ込むことだってざらにある。多少、過激になるのは仕方ないことだ。レースなんて月に1度、年に6回もあれば多い方だ。何ヶ月もの準備期間を経て、レースに臨むという前提がある以上、1着というたったひとつの勝利を目指して誰も彼もが必死になる。

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