ハーメルン
中世農民転生物語
アスパラガス

 アスパラガスは、春の恵みでも格別であった。その程よい歯応えと言い、ほろ苦さを孕んだ甘い風味と言い、特別のご馳走として扱われている。

 現代人にはそんなに美味いものだろうかと疑問に思うかも知れないアスパラガスだが、実は現代の野菜は、そのほぼ全ての品種が長年に渡って品種改良されてきたものばかりで、平成や昭和後半の野菜でさえ、昭和初期生まれの人たちや大正生まれの老人たちが食べると、こんなに野菜が甘いなんて!と感動するほど別物だったという話が残っている。

 本来、人の手が入らぬ野菜とは、総じて苦くて固くてエグみが強いのだ。そんな野菜が美味しくない世界に、最初から現代と殆んど味わいの変わらないアスパラガスちゃんが君臨しています。そう、アスパラガスちゃんこそ春の野の女王。あの古代ローマの名君アウグストゥスもアスパラガスが好き好き大好きで特別に船団を仕立てて遠方から取り寄せていた(実話)くらいに、中世な世界では特別の珍味なのだ。

 ちょっとおしっこが臭くなりすぎる事を除けば、柔らかくて美味しくて食べやすいアスパラガスちゃんは特別なご馳走であるのだが、採れるのは春のうちでもごく短い期間なので、初春の季節になると、若い男女や夫婦がこぞって河辺や野原へと赴いてアスパラガス狩りに励む姿を目にすることが出来た。

 さて、危険な森を普段から彷徨いている村の小僧が此処に一人。何時ものお供に少女。村でも指折りの山菜採りの達人として、森や草地を探し回る他の子たちを尻目に、滅多に手に入れられないアスパラガスちゃんを鱈腹食べるのが例年の行事であったが、今年は少しばかり事情が違った。

 春の初めに雪解け水にて病を患い、ようやっと動ける程度に回復した頃には哀しいかな。アスパラガスの旬はほぼ過ぎ去っていた。それから直後に探せば或いは見つかったかも知れないが、北の沼地への遠征と蛙狩りに精力を注いでいたが為、今年は一本とて春の珍味を食していない。

 春も終わりになって、ふと気づいたのだ。そう言えば、アスパラガス食べてない、と。
 アスパラガス食べたいと必死になって探し回るも、今さら見つかる筈もなかった。
 北の湿地帯であれば或いは見つかるやも知れぬが、幾度赴こうが沼沢地が子供に取って危険な領域である事になんら変わりはない。

 辺りに細心の注意を払い、いつ何時でも遁走に移れるよう備えながら、なお神経を削る森の深部である。怪しき気配を感じた際には、蛙が取れようが取れまいが、死にものぐるいで村近くの森まで駆け戻ったも1度や2度ではない。
 踏み入るも常に命がけな農民の子としては、深き沼地で呑気に春野菜を探すなどありえなかった。

 それでも春というのは妙な季節で、人を普段では考えられないような浮ついた気持ちにさせる事もある。思い返すに、その日のわたしは、ちょっと頭がおかしくなっていたのだ。

 アスパラガス食べたいよぉ。一本くらい俺のために生えてきても罰は当たらないだろ!野菜なんだから!今すぐ生えてきてよ!
 ……狂を発したか?
 呆然とした魂がなにやら言ってたが、切羽詰まった肉体にはまるで聞こえない。
 丘陵の湧き水、川の畔、森の泉、村の周りの草原。目につく処は軒並み探してみるも、しかしほぼ全てのアスパラガスが取り尽くされていた。

 少しは他人の為に残しておかなきゃ駄目でしょ!優しさってもんがないよ!
 毎年、他人を出し抜いては食べ散らかす自らを完全に棚に上げ、アスパラガスを取り尽くした貪欲な村人たちに肉体は怒りの矛先を向けていた。

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