アグネスタキオン2
昼下がりの校舎一角は、ある種のどよめきに包まれていた。昨日から流れる噂話に、新人トレーナーからベテラントレーナーまで、あるいはウマ娘達までもが意識を奪われていた。
その噂というのは『あの奇人ぶりで有名なアグネスタキオンが選抜レースに出たばかりか、トレーナーと専属契約を結んだ』というもの。
彼女は以前よりその血筋や僅かばかりに見せていた実力の片鱗からデビューに期待が寄せられていたが、しかし、その実態はレースどころか授業にさえ真面目に出席しない問題児。
このまま行けばデビューどころかトレセン学園への所属さえ危ぶまれるのでは――と、一部から心配されていた矢先の出来事に、周囲はあれやこれやと想像を膨らませていた。
曰く「流石に彼女も退学は嫌だったから渋々契約したのだろう」とか。「今回のスカウトは腕が良かったのだろう」とか。はたまた「いつもの実験に失敗して性格が(まともな方に)ねじ曲がったのでは?」とか。
その真偽はどうであれ、少なくともこれだけは共通事実として認識されていた。
『翌月のメイクデビュー戦にはアグネスタキオンが出バする』と。
「そこまで。タキオン、水分補給後、インターバルを5分取る。次は腹筋トレーニングに移るぞ」
ランニングマシンが既定の距離を計測したところで声を掛けると、大きく息を吐きながら彼女は頷いた。ウマ娘用に特殊改良された学園のトレーニング用機器は、総じて運動強度が高い。現段階で完成とは言えない彼女の身体での長時間使用は故障に繋がりかねない。短時間かつ高密度のトレーニングが良いだろう。
「うーん。実に基礎的なトレーニングの比重が高いねえ、君の訓練方針は」
「これでも本来のジュニア級よりは高めの負荷を取っている。ただ、今の調子ならもう一段階トレーニングレベルを上げてもいいかもな」
タキオンがふむと頷き、マットに寝転がる。
足を抑えてやりながら俺は言葉を続けた。
「少なくともデビューまでは基礎トレだ。タキオンの最高到達速度は既に一線級だが、レースは速さだけじゃ勝てないからな」
彼女は逃げ馬じゃない。脚質で言えば先行がベスト、レース状況によっては差しが戦術選択肢に上がるだろう。ならば、前方から抜け出す、または後方から追い上げる筋力が必要となる。
出来れば持久力も鍛えたいところだが……こちらは並行強化しつつも、優先度は下げていいだろう。当面、タキオンの出走レース候補は中距離以下でまとめてある。長距離レースの対策にしてもクラシック級の10月までに間に合わせられればいい。
……それに、彼女はアグネスタキオンだ。可能な限り脚は使わせたくない。
「左右の捻りが足りてないぞ。呼吸は身体を起こしながら息を吐くことを意識しながら、もう2セット。インターバルは各1分だ」
「了……解っ!」
「――よし、腹筋そこまで。今日の予定は終了だな。ストレッチは念入りにしてから終わるぞ……お疲れ」
意外に、と言ってよいのか、タキオンは練習には熱心だった。
俺が決めたメニューに特に口出しすることもなく、黙々と内容をこなしていく様は、下手をすれば優等生に見えてしまった。
「君が私の要望に合わせてトレーニング時間を短く、その分、研究に回せるようにしてくれたんだ。時間中ぐらいまともに取り組むとも」
「昨日サボったのは?」
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