1:造蹄
「おい、旨そうなモン吸ってるじゃねえか」
今度はよく聞き知った声がする。
今日は来客の多い日らしい。
「一本どうだ?」
装蹄師の男は声のしたほうに、煙草の箱を差し向ける。
「やめとくよ。娘どもは匂いに敏感なんだ」
キャンディーを咥えた男は、同年代の沖野トレーナーだ。
年齢もほど近く、彼が最初に担当したウマ娘の蹄鉄に問題が発生した時、対応にあたった時からの付き合いである。
稼業違いではあるが、仕事自体はウマ娘を通じてつながっているため、お互い気安い同僚、といった関係だ。
「どうしたんだ。まだ娘どものトレーニングの時間帯だろうに」
「今日は少し早めに上がりだよ。ここのところ、練習が上手くいきすぎててな。ちょっとみんなオーバーワーク気味なんだ」
「ほーん。そんなこともあるのか」
「あるよ。まあ年頃の娘たちだ。調子の上下はそれなりにある。ここ最近はたまたまうまく噛み合ってるのさ」
「そんなもんかね」
男は紫煙を細長く吐きだす。
沖野トレーナーは羨ましそうに、口の中の飴をかみ砕いた。
「そういやさっき、久しぶりにいい槌音が響いてたな。なんか直してたのか?」
「…? あぁ。ひさしぶりに蹄鉄を打ってみたんだ」
「…蹄鉄を?」
「あぁ。鉄の棒から叩き起こした」
「お前、そんなことできたのか?」
心外である。
「一応これでも装蹄師なんだぜ」
「そりゃ知ってるが…そんなこともできるんだな。ちょっと見せてくれよ」
咥え煙草で工房に入り、沖野に手渡す。
「…見事なもんだなぁ…」
沖野は蹄鉄をゆったりと、だが真剣な目で眺める。
まだたたき上げたばかりの粗い表面だが、量産品にはない一品物の重み。
手作業で叩いた跡が規則的に並び、蹄鉄の柔らかで立体的な曲面が芸術性すら感じさせる。
「いいなぁ…綺麗だ…」
沖野は蹄鉄を手に取り、角度を変えて眺めながら、ため息をつくように言った。
「今時鉄製の蹄鉄もないもんだが、たまにはつくらないと、腕が鈍るんでね。もっともウマ娘に使ってもらうアテはないから、文鎮みたいなもんだ」
咥えていた煙草を灰皿で揉みつぶす。
「仕上げしたら、やるよ。ペーパーウェイトにでも使ってくれ」
「いいのか?」
「あぁ。これは作ることが目的だったからな。目的は果たした」
「じゃあ仕上がり、楽しみにしとくよ。そいつのかわりといっちゃあ安いかもしれないが、今度一杯おごらせてくれ」
男は、作った蹄鉄が沖野に評価されたことが素直に嬉しかった。
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