14:夜の工房にて
学園主催の会議により、関係各所に合同プロジェクトの協力が要請されたあとのこと。
男の仕事はいささかの変化を見せていた。
書類仕事が増えたのだ。
形式ばった書類が増えたわけではなく、合同研究プロジェクトを進めていくにあたり、まずは各々の状況、技術レベルを集約するという名目で、さまざまな切り口の資料提出を求められていた。
もちろん服飾部からの指示により整理、細分化されたのちに資料制作の指示が下りてくるのだが、それは本来は一本独鈷の職人の撚って束ねて組織化したに過ぎないという性質から、かなりの難航を強いられていた。
このところは男は朝から日中は工房に詰めて通常業務を行い、日が暮れたころから机での資料作成に追われる、というサイクルで過ごしている。
これまでの職人の暗黙知を共有知として体系化していく作業は相当に難易度が高い。それがゆえに資料価値が高いともいえたが、書けば書くほど、これで伝わるのだろうか、と男を悩ませた。
そして今日も、日も暮れあたりは真っ暗になり、いくらかの常夜灯が弱々しくあたりを照らす時間になったが、工房の灯は消えることなく煌々としていた。
男は鉄を熱する炉のために設置された換気扇をぶん回しながら、煙草の煙をもうもうと吐きだし、頭をかきむしりながらPCに向かう。
その姿は水中の生物が無理やり陸上で生活させられているような、一種の不自由さを感じさせた。
「やぁ、精が出るねぇ」
男がその夜も煮詰まっていたころ、妙にのんびりした声で工房を訪ねてきたのは、ここ最近の変化の元凶、アグネスタキオンその人であった。
「やぁ。ひさしぶりだな」
男は疲労感の濃い表情ではあったが、にやりと笑みを浮かべて彼女を出迎えた。
「ひどい顔だね君ぃ、疲労感満載の表情に無精髭と咥え煙草とは、不摂生かつ不養生、自傷行為が徒党を組んでいるようだよ」
男は力なく笑う。
手近な椅子を勧めると、彼女はゆったりとした足取りでその椅子に掛けた。
「おのれの能力の無さに嫌気がさすくらいには自傷行為を謳歌してるよ」
嫌味ではなく本心であった。
実際のところこうして頭を使うのは嫌いではない。得意ではないというだけだ。
「しかし、ずいぶんと大きく出てくれたな」
彼女がここに来たのは、例の合同研究プロジェクトの含みだろうから、軽く本題に切り込んでみる。
「空気を入れたのは君だろう?それに応えて弾けてみせたまでさ」
彼女は悪びれずに余裕たっぷりの微笑とともに応じる。
「いい弾けっぷりだと思うぜ。相当、考えたんだろう?」
彼女は耳をぴくりと反応させ、にやり、と笑った。
「私自身の研究の進捗は短期的には犠牲になったがね…結果的に私は、自分の研究の推進力、代替策、そして進めていくうえでの保険を手に入れることができそうだよ」
やはりそうか。
狂気の研究者に見えていた彼女だが、その才は研究だけに及ばず、構想力や調整力、つまり政治的な才も備えているようだ。
「…それにね、エアグルーヴ君もちょうど、生徒会副会長としての実績を欲しがっていた。我々の利害が一致した結果、こうなったというわけだ。まぁ、私の研究に鈴が付けられた、という面はあるにしても、得られるもののほうが大きい」
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