9:バブルと整備と鯛と
男はひさしぶりに、目覚まし時計によらない自然な目覚めを迎えた。
部屋の時計に目をやると、時刻は朝6時過ぎを指している。
今日は休日だった。
男は本来ロングスリーパー気味の体質だったが、年齢のせいか、ここのところ続いた本来の業務以上の気がかりな案件のせいか、もっと眠りたいのに目を覚ましてしまう日が多くなっていた。
しばらくの間、再び意識が途切れることを期待して布団で粘っていたが、空腹感とともに頭が順次起動してしまい、再び夢の国へ戻ることをあきらめざるを得なくなったことを自覚すると、寝床から這い出す。
アグネスタキオンほどではないが、自分で自分の面倒を見ることにあまり興味の持てない質である男は、とりあえず無意識にシャワーを浴びて、徐々に意識を取り戻す。
休日を過ごすにあたり、特に他人との交遊にもあまり興味の持てない男は、しばらく放置していた趣味の時間に費やすことを決め、手早く着替えると、いつもの仕事用の道具一式と、古めかしい鍵を持って部屋を出た。
トレーナー寮の駐車場、その最も奥に男のクルマはあった。
停めにくいスペースであったが、男の業務上も生活上も、クルマを使うことはほとんどなく、置きっぱなしであるためむしろ好都合といえた。
男のクルマはそこに、カバーを被されて置かれていた。
薄汚れたカバーを剥ぐと、一見、何の変哲もない、すでに車名も消滅してしまった旧い国産の1300㏄のコンパクトカー、いわゆる「おばちゃんのお買い物車」が現れた。
男が乗り込み、キーを差して一段一段、確かめるように回していく。
普段乗らない分、バッテリー上がりを心配したが、特に問題なくいつも通り通電し、セルを回せば2クランキングでエンジンが目を覚ました。暖機のため数分そのままアイドリングさせたあと、クラッチを踏んでギアを入れ、ゆっくりと駐車場から車を出した。
公道に出、車の各部を暖めるようにゆっくりと走らせる。
学園のある街をゆっくりゆっくり流していく。
この街の公道は、いたるところにウマ娘レーンなるものが設置されている。
水色で強調された、車道の端にある2mほどの幅のそこは、ウマ娘たちが制限速度内で駆けることを認められている。
ウマ娘レーンがある山へと続く道を、男は暖まったエンジンの回転数を少し引っ張り気味に唸らせながら、朝のランニングで駆ける娘たちを追い越していく。ある娘はペースを上げて男の車に軽く競りかけながら、ともに山を登っていく。
少し走ったところにあるコンビニの駐車場へ車を滑り込ませ、端に停める。
朝昼兼用の食物と、工房のアルコール補充分、そして煙草を買い込み店を出ようとすると、聞き知った声に呼び止められた。
「あ、鉄のお師匠さんじゃな~い。ひ・さ・し・ぶ・り」
振り返るとそこには、ややバブリーな雰囲気を纏った私服姿のマルゼンスキーがいた。
店外の駐車場を見ると、男が入った時にはいなかった真っ赤な平べったいスーパーカーが駐車されていた。彼女の趣味のクルマだ。
どうやら彼女も休日のドライブ中、ここに立ち寄ったらしい。
「車、戻ってきたのか?」
男は以前、学園周辺で彼女が車を路肩に停めて困っていた場面に出くわしたことがある。
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