私の名前/ぼくの名前
〈 8月28日 〉
蝉の生態について、詳しく知っている者はどれほどいるだろうか。
『なんとなく』知っている。そういった曖昧な認識をしているひとがほとんどなのではないだろうか。
もちろんそれは悪いことでは決してない。虫、という括りにしても、一種につき驚くほど様々な違いがあり、かつ虫の種類は膨大だ。
その中の一つである蝉への知識など、多くの人は持たない。
けれどそれでも、蝉の存在を知らないひとはいない。
ミンミン。シャンシャン。カナカナ。ジーン。ツクツクホーシ。
夏。蝉たちは大きな声で訴えている。だから誰しもが、その存在を知らないということはない。
蝉に対する偏った視方が生まれるのも、その存在主張の強さにあるのだろう。大きな声、多数の抜け殻、そして同じく多数の死骸。
だから『蝉は地上に出てから、1週間しか生きられない』という俗説が信じられる。けれど事実はそうではない。
それは結局、思い込みの問題。視たいものを見た結果の話だ。
ミンミン。
蝉、蝉が鳴いている。
昼だった。蝉が鳴くのは、基本的に明るい時間。
夏は夜──などというが、夏が“夏らしい”のは、やはりどうしたって、昼である。
それを示すかのように、蝉の合唱が大きく響いている。
そんな、太陽を見上げれば目が焼焦げてしまいそうな、そんな夏の日のこと。
深夜徘徊は趣味の彼は、太陽が高くのぼっている時間帯に、外出をしていた。
「……あづい」
思わず、苦悶の声が口から漏れる。
夏は暑い。それはもうどうしたって変えられない事実である。
彼は滴り落ちる汗をぬぐいながら、休める場所に向かっていた。
カランカラン。
喫茶店の扉をぐぐると、入店を示すベルが鳴る。
昼前であることもあって、店内はなかなかに盛況だった。座れる場所があるかとぐるりと店内を見渡すが、一見して空席はないように思われた。
待つことがそこまで苦であるわけではないが、やはり少し気落ちしてしまう。
──ただいま店内満席となっておりまして。恐れ入りますが、そちらの用紙に名前を記入しお待ちください。
そして店員の声にうなずき、ペンをとろうとしたそのとき、
「あ」
「……あ」
見知った少女の顔を、店内に見つけた。
四人掛けのテーブルについた彼は、対面に座る少女を認め、少し不思議な気持ちになっていた。
これで少女と会うのは3回目になるが、そのどれもが偶然で、その偶然が約1か月の範囲で起こっている。
しかし取り立てて驚くことではなく、もしかしたら顔を認識するかしていないかの問題で、今までも同じくらいはすれ違っていたのかも──と思ったりして、もしそうだとしたら、妙に縁があるな、とやはり不思議な気持ちになる。
「なんかごめんな。相席」
「いえ、別に。……それに、まぁ、店内混んできたし居座るのやめようかなー帰ろうかなーって思ってたところだったんです。相席してもらえて、私もちょっとありがたいなーという打算もですね」
「あぁ……まぁ四人掛けはね。この時間帯ちょっと罪悪感あるよね」
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